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言葉を書くこと

 小さい頃から、目の前に必要のない紙があれば、そこに文字を書いてきた。

 書く内容は、言葉の羅列である。文ではない。その日の授業で先生が言っていたこと、気に入った曲の歌詞の一部、あるいはどこからともなく頭に舞い降りてきた言葉。とにかく、頭に引っかかっている言葉を書くと、心が落ち着くのである。

  ちなみに、文は書けない。1つの文を書き終わる前に飽きてしまう。

 なぜ私は言葉を書くのだろうと考えたとき、おそらくこれだろうな、と思い当たる仮説が一つあるので、それを紹介したい。しかし、これは私の精神世界のものであり、他人がこれを読んでどこまで共感できるかはわからない。が、とりあえず書いてみる。三日坊主でも、一日もしないよりはマシだろう。

 私は比較的、理屈で動く人間である。しかし、頭の中は自分自身が満足いくほど整理されていない。

 五感を介して吸収された情報は、確かに脳内のどこかに存在する「とりあえず情報をおいておく場所」に保管される。そこは、ぐちゃぐちゃの空間である。

 私の脳は、その情報を丁寧に咀嚼して、正しい、秩序ある場所に分別しようとする。確率の問題でよくある袋の中から球を取り出すときのように、一次保管場所という「袋」から一つの球(情報)を取り出し、それを仕分ける。この分別作業に、私は人より時間がかかるのだと思う。一次保管場所は常に大渋滞である。この大渋滞は、決して居心地のいいものではない。

 私の「言葉を書く」という習性は、この分別作業を促進させるためのものではないかと考える。言葉を書くことで、その言葉に関する情報は「視覚」「(文字を書く際の)触覚」を介して、再度一次保管場所へと送られる。すると、その情報(球)が袋(一次保管場所)から取り出される確率が高くなる。

 某コロちゃんによってネットへの依存度が増えたこの時代は、私にとってインプットの量が多すぎる。この「頭に引っかかっている言葉を書く」という作業には、新たな情報のインプットは発生しない。

 皆さんも、頭の中が漠然とごちゃごちゃしているとき、この作業を行ってみては如何だろうか。効果があるかはわからないが、やってみる価値はあるだろう。

 この作業を定期的に行っていると、何度も同じ言葉が登場することがある。もしかすると、この言葉は、貴方にとって、大切な何かなのかもしれない。

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