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31夜 ちょっと極論をいってみたけど,・・・

 巷にはなかなか解決できそうにない問題がごろごろと転がっている.すべての業種にまたがる人手不足の問題,多くの中小企業が抱えるICT化の遅れ,インフラの経年劣化による修繕コストの問題,遅々として改善が進まない学校のブラック化解消問題,年金問題や低賃金問題等々,なにやら列挙するほどに問題が湧き出てくるこの状況に,気持ちよく解決できました!と答えられる問題がひとつもない事の無力感.一体いつごろからこの状況が続いているのだろうか.
 考えてみれば,失われた○○年という言葉は,すでに30年くらい使われていると思うが,この言葉が死語でない限り,問題は続くよどこまでも.なのであろう.
 何故問題は収束しないのか.
 どの問題においても,解決のための成功モデルめいたものは,いろんなところから出ているだろう.例えば,学校のブラック化問題に関しては,先生をサポートする役割の人員を配置するとか,教員の給与を上げる等の対策を打ち出してはいるものの,多忙化を劇的に改善したという学校を聞いたことがない.また,年金問題にしても,年間で80万弱の国民年金だけで生活することは至難の業で,一部自給自足を可能にする生活環境でもあれば何とか可能というのが現実だろう.つまり,根本的な問いに対する解としての対策ができていないというのが実情だろう.
 なぜ,学校はブラックな職場になってしまったのか
 なぜ,年金だけでは生活できないのか
 なぜ,賃金は低いままなのか
 なぜ,インフラ修繕がすすまないのか
 なぜ,・・・・・
 問題解決論的に考えるならば,問題は解決した瞬間に新たな問題を浮き上がらせる.そこで,その問題へのアプローチをして解決へと導かれるのであるが,それが解決した瞬間に,また新たな問題を浮き上がらせ・・・というように,問題解決が新たな問題を生み出すわけで,問題がなくなることはない.しかし,それぞれの問題の解は得られるわけだから,上記の「なぜ」という問題が解決しない原因は,未だその問いに対する解が我々にもたらされていないからなのだろう.だから閉塞的な感覚から抜け出せずにいるわけで,次の新たな問いを見出すこともできていないのが現状なのだ.すごろくでいえば,お休み状態なわけで,普通なら1回休みのところを休む回数すら明確でない状況に陥ってしまっているのだろう.
 学校のブラック化に対して,筆者はこれまでも学習指導要領の根本的な改善や,教員の業務の限定化などを,この紙面で提案してきた.これらの方法に関しては少なからず法改正が必要になる.ということは,実務にあたる教員が「ああだ,こうだ.」と工夫できるわけではない.残念ながら,大変だろうなあ,というある意味傍観者のような人々が「こうすればいいんじゃね.」という手段を提示しているというのが現状であり,結果として,これまでの対策は,うまくいっていないのである.これまでのような,制度に基づいた建て増しのような対策では解決しないのであれば,制度に基づかない対策を考えるべきで,いっそのこと問題を引き起こす原因になることをやめたらどうだろうか.
 例えば,いじめに関しては,クラスという組織を作るからスクールカーストなるものが登場するのかもしれない.ならば,クラスをなくす.単位という概念があるから出席を要求される.ならば,すべての校種で出席日数そのものを無価値にする.単位の認定は,国家試験のような形態にしてしまい,60点以上とれたら単位認定する.このようにすれば,小学校4年生の算数は,これだけの学習を終えなければならないなどという縛りはなくせるだろう.授業はネットで十分可能だろうから,学校に来る必要はなくなるし,部活動も必要ない.こうなると,先生は何をする人?ということになり,そんなに必要なくなるから,多忙化も解消できるだろう.多分,この方法をとれば,大学の基礎科目くらいまでは,これで十分に対応できるだろうから,大学もまとめることができ,研究にシフト可能となるだろう.要するに,学歴は学習歴になるということだ.
 いわゆる三育に重きをおく方々からすれば,体育と徳育はどうするのだ.という非難が殺到するだろうが,体育は地域の無償体育活動を充実させればよいし,これを年齢制限をかけない活動にすれば学校体育と社会体育を共存させることになるわけで,これこそダイバーシティ教育だろう.ここに,文化活動も加えれば,徳育への対処にもなるだろう.
 ここまで書いたところで,突っ込みどころ満載の方法だなあと筆者自身が思っているところだが,これくらいの考え方で取り組まないと「永遠のお休み」になってしまいそうで,そのことの方が深刻な状況を招くに違いないだろう.
 なんでも学校で,という考え方をやめてなんでも地域で,にすることが,学校の問題だけでなく,多くの社会問題を包括的にとらえる契機となり複合的な課題解決になると思うのだが,果たして私たちは,未来に向けての問題解決のための覚悟はあるだろうか.
 



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