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そして命について考える2)

昨日、自分の思うところの
命について記しました。
今回は、何故私が、看護師として、一人の人間として
死、生、命について、考えるようになったのか。
それを話したいと思いました。
それは日常の中でのジレンマでした。


救急病棟に、新卒で入職して
私は、いかに、早く、そして正しく、
業務ができるようになり、
未経験の技術が、できうるようになるか
そして、救命できたこと
患者からの、反応、回復の兆し、
そこに、喜びを感じていました。


その当時、プライマリーナーシングという
入室から退院まで一人の担当看護師として担当する
受け持ち制をその部署では活用していました。
一年目の秋に受け持った患者さんは
心肺停止蘇生後(心肺停止に陥ったのち、蘇生された患者)
呼吸器につながれ、心肺の機能が維持されていますが
脳の機能については、回復が難しいとされていた。
意識はもどらず、
日々、刻々と、その患者の残り時間が、少なくなっているのが
経験年数の少ない私にもわかりました。


その患者を前に、私は何ができるんだろうか
そのジレンマに陥っていた。
やることがわからない。
患者が何をしてほしいかわからない。
そもそも回復がみこめない。

生命維持の援助としてできうることはある。
たくさんある。
だがそれをしたところで、
死に向かってるこの患者に対して
何をすれば私はいいんだろう。
私は無力感と空虚感を感じていました。
そして先輩看護師に質問します。
「私はこの患者さんの看護計画に何をかいたらいいか
わかりません。
何ができるかわからない。」


そのとき、先輩がこんなことを言ったはずです。

「みたそのまま、その現実が、現実ではないよ。
じゃああなたは、この人生で、
この患者様のように意識がなくなった
状態になったことある?
死んだことはある?ないでしょ。
想像力をもって、今できることを探しなさい。」


 そのときは、また答えているようで答えていないと
思いましたが、
今はこう解釈します。
命と生命とは、神秘なもので、いまだ、定義づけされていない。
そしてその命と生命から、繰り広げられる生きると死ぬも
人間の範疇に及ばない、何か大きなものが、つかさどっており、
それも、何かがわからない。
でもそれをわかろうとして、探求し、想像し、看護師としてできることを
していくことその姿勢と、行動すること。
そしてそのわからないを、しっかりに認識して、
さもわかったように陥っていないか、
日々、振り返り、命への敬意というか、
大切にするという思いを持ち続ける事。


 今でも、生命維持機能がとまり心停止した、
もしくは、今まさに心停止する患者様の
傍らで、立ちすくむ御家族から、
「どうすればいいでしょうか。。」
「声をかけていいんですか」
「もう、いないんですか死んでしまったんですか。」
そんな声を聴き、その場を、
受け止めようとして日々生きています。


ですが、ジレンマがずっとあります。
死んだことがないのに
本当にサポートできない。

死ぬってどういうことなんだろう
そもそもいま、死んだら感じている
この心は、どこにいくのか?
命とは?
生命とは?
魂とは?

そんな疑問がふと、仕事をしていない日常の中で感じ
仕事中は必死に業務をこなす。そんな毎日です。
様々な側面から考察することができれば、
いいのでしょう。


ただ、医療者としての前に、
一人の人間として大事な家族、親戚の死を迎え、
今私ができることを実践し、
その時間を大切にしていくこと
その中で、
上記の途方もない疑問を
あきらめないで
探求しないといけないよ。と言われている気がしました。


その、探求の継続を
このnoteでしている次第です。
まだまだ探求は浅く、これからも、
淡々と、明るく、そして真面目に、
読んでくださる皆様の
お力も借りつつ、わからないけど、
わかろうとしていきたいです。

日々生きていると、日々のあれこれに忙殺され
いま生きていること
命があること
それがどういうことなのか、考える時間がなく
流されている。
でも、明らかに今生きていて
生かされている、それは確かです。
そこに感謝できるときはしていけたらと。
きょうの私も、生きてくれ、ありがとう。
このnoteを読んでくれる皆さんも生きてくれて、
ありがとう。

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