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稲盛和夫氏、苦悩の末にたどり着いた「無私」の境地・・・という記事の紹介です。

なんだか気が付いたら8月も月末ですね。
本当は先週末から実績作業を始めるのですが、今日から始めました。
加算の変更があるのでシステム上全て最初から打ち直さないと新しい加算が反映されないようだったので、念のため前月コピーや実績連動の機能を使わずに今日までで8月の実績が確定した方について、一人ずつ手作業で打ち直しを行いました。

しかし、週末に雨が降ったらあとは涼しくなるという予報はどうしたものか・・・まだまだ暑い北海道です。

さて今日は、最近読んだ記事で改めて勉強になったり、そうだよなぁと思った記事の紹介です。

 1959年、スタッフを含めて28人でスタートした京セラ。いくら技術力があっても、名もないベンチャー企業に、すぐに顧客が飛びつくわけがない。「注文が出たら絶対断らない。技術的な裏付けがハッキリしていなくても、『やりましょう』と引き受けてくる。引き受ければやらざるを得ない。ダメでしたではもう相手にしてくれない。必死に技術開発をし、納品する」。稲盛氏は創業時代の取り組みをこう振り返っている。

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この姿勢というか意気込みというか、『「注文が出たら絶対断らない。技術的な裏付けがハッキリしていなくても、『やりましょう』と引き受けてくる。引き受ければやらざるを得ない。ダメでしたではもう相手にしてくれない。必死に技術開発をし、納品する」』・・・この部分、僕自身は介護の現場でも同じような考え方でどんなケースでも断らないで受けてきたので非常に共感できました。

実際、難しいケースを何件も受けましたが、そういうケースについてはご家族も様々な事業所から利用を断られてきていた場合が多かったので本当に感謝されました。

一方で、そうでもないケースでうまくケアの実現が出来なかった時は、やはり利用が中止されたりして、介護サービスでも結果を出す事の必要性と、幅広くサービスを利用していただくには、提供するサービスの高い品質が要求される事を学びました。

京セラ創業時のエピソードですが、これが基本中の基本だろうと思っています。だからこそ生き残れるというか、成長できるというか、出来るからやる・・・という当たり前の事ではなく、出来るかどうかはわからないけど出来るようにやる、という自分で自分を追い込むというか、そういうニーズがあるのであれば実現できるように何が何でも工夫する、という覚悟が必要なんだろうと思っています。

そして、その覚悟は、誰かの人生を支える介護の仕事に携わる上では、絶対に必要な覚悟だと思っています。

先週末に8月の研修を行いましたがその時にも、『防げない事故は確かにあるが、予防対策を行うこちら側が最初から防げないと思ってしまっていては業務の工夫や予防するための検討の追求がそもそもできないので、そういう事故はあるにしても、自分なりにどんな事故でも防げる前提で考えた方がいいし、僕自身はそういう視点でいつも現場に出ている』という話をしました。

実際、防げない事故などは本当にあるので、契約時にはそういう事については丁寧に説明してご理解を得ておく必要はありますが、だからといって”防げない事故があるから”という前提で事故防止対策を検討するのはちょっと違うのではないか、という想いがあります。

ただ、このあたりの考え方や視点って結構微妙な問題で、上司たる立場の者がこういう指示を出すと、出来もしない仕事で成果を求められる、という感じのハラスメントに該当する恐れもあるので、そこも含めて研修では説明しました。

僕自身、どんなに遠くで転倒されたケースでも(他の職員が近くにいたとしても)、自分事として考え、事前にその人の状況で何か気づけなかったか、無意識上で気づきがあってそれを認識できてないレベルだったのか、意識できたレベルで何かの変化を気づけた可能性はないのか、何か気づけたとして、それを近くにいる職員に伝えて防止できたかどうか、僕自身の事故発生時の仕事で優先順位やポジショニングは最適だったろうか・・・などと考えて考えて再発防止策を考える事も伝え、そういう意味も含めて”防げない事故はない”という考え方で物事を見るようにしている、と伝えました。

だからかどうかは不明ですが、気が付いたらふらつきそうな人のそばに居るようになっていたり、なんとなく転ぶかも?と感じるようになったりしてきた、という実感も伝えています。

ですので、こういう部分が『必死に技術開発をし、納品する」』という部分にもしかしたら該当するのかな、なんて思いました。

介護職の技術って、介護技術もそうですけど、やはり最終的には人間性とちょっとした動作や変化に気が付ける気づきの技術が大事だと思っていて、そういう技術って自分で磨くしか方法はないと思っています。
こういうの、人から教えられて出来るもんでもないし、自分なりのコツを掴むしかないんだろうと思ってて、ただ、それをどうにかして共通言語で伝えられるようにしていく必要はあるんだろうなと思っていて、それは結構長い間の課題になっています。

「京セラの今日を築いたのは信頼に基づく人の和である」

鹿児島大学卒業後に就職した京都の碍子(がいし)メーカー、松風工業を先輩や上司などと共に飛び出して立ち上げた京セラ。その仲間たちで「一致団結し、世のため人のためになることを成し遂げる」と、誓いの血判状を押した逸話が残る。

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人の和・・・これは本当に大事ですね。

血判状とかなんとなく武士や明治維新の志士を感じさせますが、それだけ熱い想いのメンバーと創業されたと思うとこちらも胸が熱くなります。

世のため人のためになることを成し遂げる、という理念も素晴らしいですね。だからこそ、成功して成長して後世に名を遺す業績を得られたのだろうとも思います。

”人の和”ですが、僕自身がこの言葉を知ったのは中学生の頃に三国志の影響で、小説か漫画か何かで『天の時、地の利、人の和が揃っていればなんでも成功する』みたいな感じで使われていて、そっか成功するには”天の時”と”地の利”と”人の和”がうまく揃えばいいのか・・・なんて思いましたが、今でもよく覚えているのは、地の利と人の和は何となくわかるけど、天の時って何???という事で悩んでいたのを覚えています。

今から考えると、天の時はタイミング、地の利は自分にとってその場所や環境が有利か不利か、人の和はチームワーク、という感じでしょうか。

そして、今から考えると”人の和”が実はすごく難しいんじゃなかろうか・・・という事です。

タイミングや場所や環境については、なんとなく自分でコントロールできたりもしますが、人の和というのは人間関係そのものですし、目的に向かって一致団結できているか、という事も言えそうですし、特にこれから労働人口が減っていく中での人の和の確立は本当に難しい課題になりそうです。

古来より人の和という物が重要だよ、とえらい人が伝えてくれた事については、いつの時代も人間関係っていうのは難しかったんだなぁ・・・という事も今では思います。
そう、中国のどんな偉い人でも、”人の和”を大きな課題の一つに挙げて問題意識を持っていた事を考えると、これは組織づくりの永遠の課題であるだろうし、その課題を克服できたチームは絶対強いな、と思いましたし、それを大事にしてきた京セラが成功していったのも当然なんだな、と思いました。

『「京セラの今日を築いたのは信頼に基づく人の和である」』

信頼に基づく人の和、これは重要な組織づくりのポイントであり土台だと思います。

ちょっと天の時・地の利・人の和について調べてみました。

天(てん)の時(とき)は地(ち)の利(り)に如(し)かず地(ち)の利(り)は人(ひと)の和(わ)に如(し)かず

読み方:てんのときはちのりにしかずちのりはひとのわにしかず

《「孟子公孫丑から》天の与え好機土地有利な条件には及ばず土地有利な条件民心和合には及ばない

Weblio 辞書

正確な意味では、タイミング(天の時)がどんなに良くても有利な環境や条件(地の利)には及ばなくて、有利な環境や条件(地の利)も人々が仲良く調和している(人の和)には及ばない、という意味の様です。

だとすると、やはり人の和が最も重要であるという事ですよね。

僕自身、この天の時のキーワードは全部が揃って初めて成功する、なんて理解していたので改めて勉強になりましたし、本当に人間は昔から仲良くできてこなかったんだなぁ・・・と苦笑いの表情になりました。

悩みぬいた末にたどり着いた答えが、子供の頃に父母や小学校の先生から教わった「人間として正しいことを判断の基準にする」ということ。

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これ、以前紹介したホリエモンの記事の中で”面白い方を選ぶ”という判断基準と併せて考えると、より精度が増すような気がします。

自然の道理、人間として正しい道、すなわち天道をもって善しとせよ、己の欲や私心をなくし、利他の心をもって生きるべし──。「敬天愛人」はこう説く。

「人を愛するということは、生半可な覚悟ではできないんだよ」。西郷隆盛が、そう語りかけているような気がしてようやく決心がついた、という。

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介護の仕事も言うなれば”人を愛する”仕事です。
その人の人生をよりよくするには、人間同士の愛情が必須ではないかと考えています。
仕事は仕事で割り切る場面は必要ですが、介護の場面では、やはり生半可な覚悟では、その人の人生をよりよくする為の仕事は出来ないと思っています。

こうして書いてしまうと介護の仕事のハードルが高く感じてしまう方もおられるかもしれませんが、そこまで鼻息荒く覚悟を持ってても当の本人にとっては有難迷惑なので、そういう想いは胸の奥底にしまっておいて、実際の現場では肩の力を抜いて極力素の自分で居るようにしています。

それが一番自分らしいですし、そういう人間同士の関係がよりよい人生になると思っているからです。
ただ、それも芯の部分で熱い想いがあればこそだとは思っています。

稲盛氏は社業に打ち込む傍らで、日本を代表する名経営者、松下幸之助や本田宗一郎の本を熱心に読むことも忘れなかった。経営の「素人」だと自覚しているからこその向学心。中国の古典、孔孟(こうもう)の教えや仏教も学んだ。

「それらを繰り返し読むうちに、経営者として、また、悩み苦しみながら生きる1人の人間として、日々遭遇する出来事に照らし合わせてみると、人の考え方がしっかりしていなければ何事も立派に成就することはない、これは世の中の絶対的な真理だと確信を深めていった」(日経ビジネス2005年12月5日号の「敬天愛人」より抜粋)という。

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自分自身がまだまだ足りてないと感じる事は本当に重要で、向学心というのは必須の能力だなぁと思いました。

特にそれぞれの本を繰り返し読むうちに・・・とあるように、何度も何度も同じ事を繰り返し学ぶ中で新しい発見や、その時々の状況で必要なヒントや閃きといった事もあったろうし、その段階でしか理解できない内容だってあったと思うので、同じ事でも繰り返し学ぶ事に大きな意味があるとも思います。

介護業界でも年間で必須の研修の内容はありますが、やはりそのどれもが何度も繰り返し学ぶ事で学びが深くなったり、新しい気づきや発見のヒントになるので、ちゃんと真剣に同じ内容でも学ぶ姿勢というのは大事だと思っています。

そこから学ぼうとする気持ちがなければ、学べるべき要素に気づきもしないとも思ってもいます。

そして、そういう学びを繰り返していくうちに、人としての軸というか、自分なりの自分らしさというか、この記事で言うところの”人の考え方がしっかりする”事につながるのだと思いました。

「リーダーには哲学が欠かせない。成功におごらず、謙虚に、自分を律する克己心を持ち続けられることが人間としての本当の偉さなのです」

1988年12月19日号の日経ビジネスの記事ではより率直に心の内を明かしている。「放っとけば際限もなく堕落していく弱い自分を知っている。大義名分というか、規範というか、そういったものでせめてもの歯止めにしたい」 

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哲学というと、だいぶ前から読むのが中断してしまっている『実力も運のうち(マイケル・サンデル)』があるので、この機会にしっかりと読了したいな、と思いました。

自分なりの哲学を持つ、というのは人の上に立つリーダーには必須の課題かもしれませんね。

出来る人は何もしないで出来るわけでなくて、自分の弱さとか諸々のそういった自分自身としっかり向き合った上で、自分を律して成るべき自分に向かって自己成長を諦めない人なんだろうな、と思いました。

人の上に立つと、外には見せれない部分で相当な葛藤や苦しみが味わっている事が多いです。
リーダーというのは、やはりそういうモノなのだろうと改めて再確認できました。



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