social work station つむぎ
まちの中でソーシャルワーク
2021年の夏にはじめた活動です
すべての人が大切にされる社会のために
こころやからだの不調がある時に
医療や福祉のケアを受けるだけでなく
ふつうに暮らし
まちの人と一緒に楽しみ
誰かから必要とされる場を持てるように
人と人がラベルを超えて
「わたし」と「あなた」で出逢える場が
まちの中にたくさんあるように
自己紹介と「つむぎ」に至る道のり
はじめまして、外山愛です。都内の精神科病院で働くソーシャルワーカーです。病院から患者さんが「生活」に戻っていくための橋渡しをしたいと思ってこの仕事を始め、15年が経ちました。
病気ではなく生活や人生に目を向けること、その人の語った言葉を医療用語に置きかえずにそのままに聞くこと、なるべく病棟をうろうろして他愛もない話をすること。そんなことを大切にしてきました。
病院のソーシャルワーカーの仕事内容はさまざまで、精神疾患、引きこもり、借金、アディクション、暴力、虐待の相談もあれば、アパートを探しに不動産屋に同行したり、カーテンの寸法を測ったり、緊急入院後に家に残された猫さんの世話をする人を頼んだり。日々、待ったなしに飛び込んでくるあれやこれやの困りごとを、ご本人やご家族と話し合いながら院内外の支援者と一緒に取り組むこの仕事は、時に大変なこともありますが、やりがいも感じる、大好きな仕事です。
そんな中、ある時ひとりの方が言った言葉が胸にひっかかり、それが「つむぎ」を始めるきっかけになりました。
「僕の周りには支援者ばかりで、寂しい」
その方には、たくさんの熱心な支援者がついていました。定期のケア会議には部屋いっぱいに人が集まる、そんな方でした。病状も安定し、仕事復帰も果たして、すべてが順調かと思った矢先に出てきた「寂しい」という言葉でした。
彼が本当に欲しかったのは、24時間体制の「手厚いサービス」ではなく、寂しい時に手をとってくれる恋人、旅行の計画を一緒にたてられる友達、家のあかりを灯しておかえりと言ってくれる家族だったのかもしれない。サービスが手厚くなればなるほどに、「ふつうの暮らし」との溝を深めてしまっていたのかもしれない。「支援者ばかりで、寂しい」私はその言葉を何度も思い出し、いつか、今までやってきたことをまちの中で展開していきたいと漠然と思うようになりました。
「つむぎ」のはじまり
人と人が「ラベル」を超えて「わたし」と「あなた」の関係で出逢えるきっかけをまちの中にたくさん作っていきたい。「サービス」の受け手、与え手の関係を超えて「与え合う関係」はどうしたら作れるのか。「あっち」と「こっち」を分断する境界線が、やさしく滲んでいくためにできることは。あれこれ考えたすえ、とにかく動いて、まちの人と出会ってみなければ始まらないことに気づき、動きながら考えることにしました。
ふわふわと、かたちのない想いから、どんな出会いがつむがれていくのか、つむがれたものがどんな場を織りなすのか、私自身、わくわくしながら挑戦していきたいと思い、これから始める試みに「つむぎ」と名前をつけました。
2022年の夏に映画『プリズン・サークル』の上映会を開催したのがスタートで、半年後に映画『ゆめパのじかん』を上映しました。秋にはじめたオンラインサロンは毎週恒例の開催となり、「つむぎ」は今、少しずつ輪をひろげ、かたちを作っているところです。
今年は活動の内容や、想いなど
言葉にして発信していきたいと思い
noteを始めました
はじまったばかりの「つむぎ」です
どうぞよろしくお願いします
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