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家事チキンレース 分担の心理的攻防

 今日は家族間における家事分担の心理的攻防について。

 毎日やらねばならぬ緊急度Aのルーティーン家事は先延ばししたところで、確実にツケが後で回ってくるため、いっそ先にやってしまった方が楽ということが明らかになった。しかし複数の人数で家事を分担している場合「面倒→先延ばし→誰かがやってくれていた」ということが起こり得る点に注意しなければならない。一度このパターンを学習してしまうと、先延ばし癖は強化されるからだ。

 先延ばし癖があるのが片方のみの場合「いつもペットボトルのラベルはがしてるの私ばっかりじゃない!」というような家事分担の不均衡が生じる。両者とも先延ばし癖がある場合、「放っておけばやっておいてくれるのではないか」という甘い期待が蔓延し、心理的攻防、にらみ合いが始まる。

具体的にどのようなことが起きるか、架空の事例を用いて紹介しよう。

例1)Aがトイレに入った際に、トイレットペーパーが切れていたため、Aによりペーパーが交換され、芯が棚の上に放置される。Bがトイレに入った際に、それを発見する。しかし、すでにペーパーは補充されており、用を済ませるために支障はないため、Bは棚の上に芯があるのを認識しつつ、放置する。
 翌日、子1が工作のためにペーパーの芯が必要だと訴える。AとBは同時に「トイレの棚の上にあるよー」と返答する。

例2)A、Bはともに給油を先延ばしにする。相方が済ませてくれるのではないかと互いに期待し、給油ランプが点灯するまで放置する。車の使用用途は主に短距離の送迎であるため、ランプが点灯していようと目的地まで数キロ運転するのに支障はなく、放置を続ける。だんだんランプ点灯後どれくらい走行したかが不安になってきて、頭の中で距離を計算しだしたり、坂の駐車場ではガソリンタンクが後部にあるので前下がりになるように車を停めようなどと考える。A、Bのいずれかが走行中にガソリン切れになるのではないかという不安に負けるとついに給油が行われる。

 例1、2から分かるように、先延ばしの睨みあいは、「このままペーパーの芯を放置したらさすがにだらしないのではないか」「このまま走り続けたらガス欠になるのではないか」というチキンゲームの様相を呈している。つまりビビった方が負けなのである。

<チキンゲーム>
別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲームである。日本ではチキンレースとも呼ばれる。激突を避けるために先にハンドルを切ったプレイヤーはチキン(臆病者)と称され、屈辱を味わう結果になる。(「チキンゲーム」wikipediaより)

 チキンゲームではA,Bの両者が強気な選択をした場合、「衝突」という両者にとって「屈辱」とは比べ物にならない不利益な結果を招くことになる。家事においては「衝突」は「めっちゃ汚い家」という不利益と考えて良いだろう。いずれかが弱気(チキン)な選択をした場合、チキンは屈辱を味わうのみならず労力を割くことになる。屈辱と労力を避けようとする両者の睨みあいは、皿洗い、洗濯たたみ、子どものプリントチェックに至るまで、あらゆる分野で出現する。

 睨み合いによる家事停滞を解決するために必要なことを、ゲーム理論を用いて説明してみたかったが、私の頭脳では不可能なため今日はこの辺にしておくとする。何にせよ、家事の役割分担を細部に至るまで明確に決めておくことが睨み合いを減らすことにはなるだろう。システムエンジニアのママ友が、育休中に全ての家事を書き出し、負担の度合いを数値化し平等に夫と割り振ったという話を聞いたことがあったが…。

 さっさとペーパー芯くらい捨てればいいのに…と呆れながら読んだ方も多いと思うが、これが優先順位のとっ散らかった家事ダメ子の性質なのである。ここ数週間、家事について考え続けたおかげで、何が、どう、ダメなのかもいろんなことが分かってきたので、それはまた次回。

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