あったまってるかい?
町の銭湯。
初めて子ども達だけで行ったのは、
小学5年生くらい。
家から自転車で15分ほどのスーパー銭湯。
中学の時も地元の友達と何度も訪れた。
母からお金をもらって。
最後に行ったの中学3年生の時かな。
それ以降は行かなくなって、
いつの間にか閉業してた。
店のおばちゃんの年齢的にもうしんどかったらしい。
うちの母親が小さい頃からあった銭湯らしく、
そこに息子も行くと言うのは、
母からしても感慨深いものがあったらしく、
「あそこの銭湯潰れるみたいやわ。」
と言ってる母はとても悲しそうだった。
みんなそれぞれに地元の銭湯があった。
今はどうなのだろうか。
風呂上がりに牛乳。
店の前のでかい犬に少し怖がりながら、
暖簾をくぐる。
帰りには母が多めにくれたお小遣いで、
ラーメンを食べる。
「あんたもう今日晩飯ないから食べてきーや」
って、おかん。
令和の小学生もそうならいいなとふと思った。
さて、「風呂上がりに牛乳」の理由を、
みんなはご存じでしょうか。
僕はある確信的な答えに辿り着きました。
お風呂上がりは人間のどの状態に1番似ていると思いますか?
風呂上がりは、人間が生まれてきた状態。
それに1番近いのです。
素っ裸で、人肌より少し暖かい液体に程度に温められた体。ふやけた肌。
これはまさに生まれた時の姿。
本来の人間の姿。
そんな時に人は何を求めるのか。
それは紛れもなくあの頃人生で初めて口にした母乳である。
しかし、この歳になって母乳を飲むことはできない。
だからせめて、母乳に近しい牛の乳、
牛乳を飲むのだ。お金を払って。
悪どい商売である。
これは、本能的なことであり、
逆らうことはできない。
それを逆手に取った人間が商売を始めたのだ。
いや、そんな者は人間とは呼べぬ。
人間なんかよりもっと上に立つべき者。
そして、それは人間の創始者とも言える者。
番台は神に最も近い存在なのだ。
番台にとって男も女も関係ない。
みな、我が子なのだから。
番台は男湯も女湯も見えている。
みな、我が子なのだから。
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