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最後で本当の地方創生「撤退は敗北ではない」

寂れゆく農村の縮小社会についてまとめた以下の本のAmazonレビューが秀逸であった。
実際に公務員として農村の経営に携わった方の実感がこもった絶望と、希望が集約されており、レビューとしては長文ながらも一気に読み切る。

【撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編 】

(以下、Amazonより引用。)

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撤退は明日のための希望だ。
2016年4月29日 amazonレビュー

1.地方公務員として

私は地方公務員として、20年以上勤務してきました。

そして、そのうちの10年以上の期間を、この本で取り上げられているような中山間地で公共土木事業に従事して来ました。しかし、正直なところ、土木工事をやっても、それが村おこし(地方経済振興)につながっているようにはとても思えませんでした。むしろ、土木工事に熱心な地域・集落ほど、工事が終わると仕事がなくなって、若い人ほど村を離れていく、それが本当のところの実感です。そこに住んでいる人は、デカイ道路や建物があるからその村に住んでいるわけではないからです。(デカイ道路や建物を作る仕事があったからそこに人が住んでいた、というのが正確なところでしょう。)公共土木事業による「国土の均一な発展」を進めれば、現在のように住民の移動が自由な時代なら、人口が多く、仕事の職種や求人が多く、生活に便利な「都会の自治体」の方が、「住民に対する住環境提供サービス」として圧倒的に有利なのだから、そこに人が移動していくのは、住民の立場からすれば当然のことです。要するに、公共土木事業による「国土の均一な発展」(※1)を目指す地域振興はもう完全な時代遅れなのです。

(※1)国土利用計画法における基本理念の一つ。大都市への過度な産業と人口の集中の是正を目指す事を目的とする。

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(この写真の画像は無料で使えるぱくたそオリジナルのフリー素材です。)

2.努力すれど、悲しい思い

山間地の住民は50代が若手、70代が主力でもう何か、新しいことを生み出していく力も時間もそんなに残っているようには思えません。あと20年もすれば、日本の田舎は大きな道路と建物を遺跡として残して消えていくと思います。そしてその時になって、日本に大量の石油等のエネルギー、食糧品の輸入が不可能になっても、今のまま日本の田舎が消滅すれば、田舎からエネルギーや食糧の供給をしたいと思ってもそれはもう不可能なのです。

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(この写真の画像は無料で使えるぱくたそオリジナルのフリー素材です。)

(中略)

3.得た教訓

この本の最後にあるように「撤退イコール敗北ではない」と私も思います。

むしろ今のまま、高度成長時代の夢を追い続けながら、公共土木事業で「国土の均一な発展」を続けていけば、工事費がなくなった途端、田舎は維持する価値のないただの荒野へと戻っていくでしょう。衰退するたくさんの田舎を見てきた私は、「積極的な撤退は日本の明日のために残された希望の一つである」と、この本を読んで思いました。

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(引用終わり。)

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4.このレビューか示す事とこれからすべき事

いかがだろうか。私は悲痛な現実感をともなった文章だと感じる。

日本の均質的な国土発展は、戦後の太平洋ベルト(※2)の急激な発展の傍ら、取り残された地方の救済という目的があったが、それが達成された今においても改められておらず、上記のレビューの様な様々な弊害を生んでいる。やり方が古く、もはや通用しない。

(※2)茨城県から大分県までを結ぶ、太平洋の臨海部にある、工業が盛んな一連の地域。

先祖伝来の土地を守るため、無理を続け土地を滅ぼし、人と文化が四散してしまっては何も跡形が残らない。

そうなる前に、持続可能な場所への移転で、存続を図る必要がある。

疲弊し、半ば諦めながらも最後の希望を見出し絞り出した「撤退イコール敗北ではない」という呻きが深く、心を打つ。

最後で本当の創生とは、場所を変えても、記憶をとどめ、経済的に自立できる姿で残り続ける事なのだ。

国土の均衡ある発展についての調査は、以下の投稿を参考にされたい。

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