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積み重ねる、重み



ベッドに入り、目を瞑る時
私は重たいお布団を首までしっかり掛けて寝る。


なんだか、安心するのだ。


私が布団の重みを重要視する様になったのは小学5年生の時。
私を姉と比較せず、私という人間をちゃんと見ていてくれたおばあちゃんが亡くなった事がきっかけだ。

とにかく、私はおばあちゃんが大好きだった。



シワが寄っていて赤みのある温かく、広い手。
その手で取った山菜を使った料理や、アイヌの郷土料理、子供が好きな味がしっかりとしている料理。

その手で痛いところをさすってくれると、なんだか本当に痛みが和らいだ。
あれが本物の「痛い痛いのとんでいけ」だと未だにわたしは言い張っている。


嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も、悪いことをした時も、ぼーっとしていた時も
あの広く、深く、温かい手は私が私として生きれる様に導いてくれていた。


でも突然、おばあちゃんは余命を宣告された。
難しい所にできた、ガンだった。

当時の私がいた場所は田舎なので治療も完全ではなく、でもおばあちゃんは専門の病院で診てもらう意思はなかったためガンの進行を緩める抗がん剤治療を繰り返し行った。

おばあちゃんがいる病院へ、母に車で連れて行ってもらう毎日を過ごした。
日に日に母に綺麗にしてもらっていた髪の毛は落ち、大好きな物を食べて幸せを蓄えていた体も衰え、あんなにも温かい手は冷たさを感じた。

あの頃人の手を温める方法は、手を握る、摩る、タオルをかける、お湯につける、、、
そんなことしか思いつかない。 全ておばあちゃんに試した。 
1番おばあちゃんが笑顔になったのは私のお金で買った毛布をプレゼントした時だった。

病院のみな変わらぬ寝具と、当時身体に良いと信じて買ったピンク色のふわふわしている毛布をかけて、オーバーベッドテーブルで何かを書いているおばあちゃんの姿。

何を書いているのか、聞いた。

「少しずつ書いて、重ねていくのよ。」

とだけ言って、私がお見舞いに来るとそのノートをしまっていた。

おばあちゃんが亡くなった後にノートを見た。
ピンク色のふわふわ毛布についてのことが書かれていた。

"孫が毛布をくれた。大事に使おう。"

"看護婦さんに毛布が可愛いと言われた。あの子はセンスが良いのかもしれない。"

"とても寒い。布団を看護婦さんが持ってきてくれた。毛布と一緒にかけた。なんだか安心するよ、ありがとう。"


このノートはある事情でもう無くなってしまったが、私が覚えている範囲でこんなことが書かれていた。

読み終わったあと

ピンク色のふわふわな毛布を買ってよかった。

と、1番先に頭に浮かんだ。


その後
おばあちゃんよ、あの時書いていたノートを見ても何を重ねていたのかわからないよ。

と当時の私はおばあちゃんに心の中でそっと声をかけた。

今思うと、おばあちゃんは私と毛布の思い出をノートを使って積み重ねてくれていたのかなとも思う。

読み終わったあと、おばあちゃんが使ってくれていたピンクのふわふわな毛布を実家に持ち帰り、寝る時は以前からある布団とその毛布を掛けて寝た。

この毛布にはおばあちゃんと私の日々がある。
この毛布の重みがそれを実感させてくれた。

それがクセになってしまったのか、今でも何枚も布団を重ね、重みを感じながら寝ている。



なんだか、安心するのだ。


日々を重ねていくこと、それは小さい何かの積み重ねでできること。
私の日々には、未だにおばあちゃんがいる。
おばあちゃんと積み重ねた日々の重みが、どんな時も私を支えてくれているから。


これからも沢山積み重ねて、その重みを実感していこう。
その重みを実感し、受け止められる人間になろう。



"重ねる" ということで、重なっている茄子を本日のnote表紙にしてみました。

またしっぽりした事を書いてしまったな。
重なっていた茄子が逸れる瞬間の写真を載せて、少し心を落ち着かせていきますね。


では。

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