32年フランス料理を作ってきた私が、スープを作り続ける理由(1)
皆様、初めまして、現在も料理を作っていますが、今年3月に今の職場を辞して、スープを作り、必要とされる方々に届けることに決めました。
コロナのこともあり、このまま職場にいる方が、家族も安心だと思っていますが、これは、私自身の使命だと思い、家族も応援してくれています。経営も初めて、ビジネス感のない私ですが、どのようにして今後進んでいくのかを書き綴っていきたいと思います。
もしかすれば、将来、子供たちが、お父さんはこんなことを考えて、スープを作っていたんだと読んでくれるかもしれないと想像しながら、少しづつですが、ここに自分の歩みを残していきたいと思います。私自身もいつか、このようなことがあったのだと振り返る時が来ると思います。
『どうして・・・スープづくりなのか?』と思われるかもしれません。その経緯をお話しするところからはじめたいと思います。
今から16年前、30代半ばの一番働き盛りの時。それは突然の出来事でした。
大事なイベントの料理をしている時、既に危険信号は出ていたと今振り返ると少し怖くなります。疲労と仕事の大きさのプレッシャーもあり、気付かぬふりをしていたのかもしれません。
私は、学生時代、野球部に所属し、日々きつい練習に耐えていた体育会系料理人でした。体力には自信がありました。
長時間にわたる料理の仕込みが終わり、同僚から『何処か調子が悪い?』と聞かれましたが、ただ疲れているのだと強がっていました。この仕事はどうしてもやり切りたい。このようなチャンスは、なかなかないからこんなことで戦線離脱するのは嫌だと思っていました。
ホテルに帰るとどんどん熱が上がり、身体が悲鳴をあげていました。大阪から東京に行き仕事をしていたため、家族には何も言わず、知人に連絡をしました。
熱だけでも下げて明日のイベントに挑みたいと思っていました。知人は、慣れない場所で不安だろうと心配してホテルまで来てくれました。市販薬ではなく、救急で病院に行こうと誘ってくれました。熱さえ下がればいいからと言いましたが、車に乗せてもらい、救急外来に向かいます。
診断結果は、扁桃炎。
疲れも溜まっているんでしょうと高熱のため、その晩は、病院に泊まり明日調子をみましょうと言われました。頭によぎったのは、明日は朝から本番の準備。どうしても入院したくないと先生に伝え、拒んだのですが、渡された薬を飲んでそのまま寝てしまいました。
眠りから覚めた私は、自分のいる場所が、病院であることがすぐにわかりました。
腕には、点滴が私の気持ちの焦りを諦めに変えるかのように固定されていました。とにかく時間が知りたい。今何時か知りたい。早く点滴を終わらせて、調理場に戻りたいと思っていました。看護婦さんに時間を聞くと、パーティーの始まる時間。焦る気持ちが、どんどん増してきました。
大事な仕事に穴を開けてしまうことと同時に一緒に事前から準備していた同僚に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。時間がどんどん過ぎていきます。天井を見つめながら、多くの来賓に料理を提供できるまたとないチャンスを逃してしまったことがすごくすごく残念でした。
結局、何もできないまま、一人で大阪に戻り、玄関で迎えてくれた2歳の娘をみて情けないお父さんだと自分を責めました。
帰宅後も微熱が続き、身体が熱く、倦怠感が抜けませんでした。妻が見かねて、近所のお医者さんでもう一度診てもらった方がいいのでは?と言われ、言われるがまま病院に行きました。
そこでは、昨日1日だけ入院した話をし、先生が、エコーで一度診断しましょうと言われました。
暗い部屋に入り、画面の明かりをじっと見つめている先生から一言。『いいもの食べ過ぎてるんじゃない?脂肪肝気をつけないと』と。『はい。気をつけます』この会話で、大したことなくて良かったと思いました。
まだ、身体のだるさがあったので、先生がプローブを手に持ったまま起き上がるのをたすけてくださいました。
その時に『ちょっと・・。そのままうつ伏せになってくれる。』と言われるのです。(つづく)
もしサポート頂けたらとても嬉しいです。頂いた貴重なお代はスープ作りの資金にいたします。どうぞよろしくお願いいたします!