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重ねる時間は何のため?

今回は『何を目的に時間や努力を重ねるか』ということをテーマで綴ります。

大学生になってから、アルバイトや実習、その他の活動を通して大人の方と共に時間を過ごす場面が増えました。

その時間を通して思うことは、大きく2つあります。

①大人って凄い!自分もこうなりたい!
 いわゆる、憧れを抱くわけです。当たり前ですが、知識も経験も豊富で、人間として厚みがあってかっこいいなと思います。そのため、私ももっと勉強なり、いろんなことを頑張ってそんなかっこいい大人になろう!とモチベーションが上がります。

一方で…

②こんなものなのか…
 という、社会の現実を垣間見たような、思っていたことと違うというか、幻滅する時があります。

私は、①と②の感情がよく交錯します。

私の身近な環境でいえば、大学や友達との間柄にもこの感情を抱きます。

大学で言えば、
教授の現場で経験したことの話を聞いた時や学生同士で発表をした時にその努力がみえたりすると、まだまだ勉強しなきゃ!友達も頑張ってるから私も頑張ろう!と思います。

一方で、学生同士で話し合いをして進める授業の時に、用意してくる情報が圧倒的に不足していたり適当な資料を作成している、会話の中で『だるw』『そんなんわかるわけないやんwww』というような、いかにもやる気がなく、適当にあしらってその場をやり過ごそうとする、そんな状況に直面すると、すごく不快に思います。

私の大学が悪い大学だとは思いませんし、中には優秀だなと思う友達もいます。
それでもやっぱり、そういう子たちをみると、たまに思ってしまいます。

『私はどうしてこの大学に来たの?』

って。

もちろん、出会えてよかった教授や友人もいるので一概には言えません。

でも、私は、ちゃんと学びを深めて、経験はなくとも学んできたことを誇りに持ち、知識を蓄えて大学を卒業することを望んでいます。

私もそういう人たちに、とやかく言うことはないですが、自分の努力が馬鹿らしく思えて悲しくなる時はあります。また、なぜそのような人たちと同じ環境で学んでいるのか?と悩むこともあります。

別の言い方をするのであれば、そういう人たちは、要領がいいのだと思います。サボっても単位を取れるところはサボる。その人たちにとって、いかに楽をして単位を取るかが大切なのだと思います。
例えば、試験について、自分は授業を真面目に受けていないので友達に教えてもらったり、先輩から過去問をもらったりしています。
多額の学費を払ってまで、よくそんな適当にやってられるな〜と私は思ってしまいます。
しかし、そうかと思いきや、意外と、勉強していたりするので、何もしてない!といいつつ、しっかりやってるタイプ。

もう、わけがわからなくなります。
どっちが本音でどっちが建前?
誰も信用できなくなりそうだと思う時もあります。

日本には謙虚な姿勢が良いとされる風習があると思います。褒められても「そんなことないよ!」と返したり、やっててもやってないとこたえたり。
あからさまに、自分はこんなに勉強してるんだ!こんなに頑張ってるんだ!と、出す必要もないと思いますが、授業に真面目に取り組む、そのためにしっかり準備をする。学びたいことについて積極的に学ぶ。そういったことも恥ずかしいことのひとつなのでしょうか。

そもそも、こういう人たちのやり方が謙虚なのか?という疑問とありますが…


私は、学ぶことができるというのは、幸せだと思います。

その権利を最大限に利用したい。
だから、いろんな学びを深めて自分のものにしたい。私は、そんな気持ちが馬鹿にされない環境を求めているのかもしれません。

『うわー、何もしてない!😫』
『あれも、これも、やらなあかん!だる!』
『先生、課題多すぎ!』

こういったことを言う学生が普通で、言わない学生は真面目という環境。

私は、こういう葛藤とも戦いながら生きているのかもしれません。


私は何を目的に時間を重ねるか。

いろんな時間の使い方がある中で、

自分の成長のために。
その成長が誰かのためになるように。

そんな時間を重ねられる人でありたいです。

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