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【映画】インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

鑑賞の終盤で滲んだ涙は、映画の内容というより(そちらもそれなりに情緒に触れるものではあったのだけど)「これで本当にこのシリーズが終わるんだ」という感慨故だったかもしれない。

第一作「レイダース/失われたアーク」の公開が1981年。
そりゃまあジョーンズ博士も年を取ります。
作品数は多くないのだけど、40年を超える長期シリーズとなりました。

シリーズ旧作を鑑賞したのは子供の頃。(※劇場公開時ではない)
当時はレイダースマーチをバックに繰り広げられる画面の中の大冒険にワクワクしたものでした。
特殊効果や映像技術は今とは段違いだけど、当時できる事で最大限の工夫とアイデアを活かして作られた全力のエンターテイメントだったんだろうなと、大人になった今は思います。
そして、当時その世界に心を躍らせた子供たち(もしくは大人)が今のハリウッドに沢山いて、新たな作品を創り出していることは想像に難くない。
その後作られた各種冒険映画の製作者が本シリーズを知らない訳はないし、意識的であれ無意識にであれ、なんらかのインスパイアがあって創作活動というのは継承されていくのだと思う。
「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズのラングドン教授なんて、明らかにインディ・ジョーンズが無かったら生まれてないキャラクターですから。

ここから始まって広がったものはとても大きいんだろうなと、改めて思います。

40年のうちに世の中の情勢や映像技術、そして各種大人の事情も大きく変わりましたが、本シリーズは時代設定が20世紀前半に固定されているのでIT革命等は起こらないし、敵は基本的にナチスドイツ。
公開が2020年代でも、そこはきっちり「インディ・ジョーンズ」らしく、馬に乗るしムチも振るう、蒸気機関車の上とか走る。
やっぱりこのアナログ感があってこそ。

若干「最終回スペシャル」的に、陸海空+αでそれぞれ映画1本作れそうな冒険をてんこ盛りでお見せいただいた感覚もありますが。

シリーズの最後を見届ける鑑賞体験(そして個人的にシリーズ初かつ最後の劇場鑑賞)として楽しませていただきました。

・・・個別のパートには色々思うところもありましたが。

以下雑感。
●冒頭15分くらいで、まさに「ぼくらが見たかったインディ・ジョーンズの冒険」が1本ダイジェストで観れるの、ほどほどにシンプルかつ痛快で良かった。
ここは現在の映像技術が駆使されてましたね。
最初は、どうやってあそこまでアンチエイジングしたのかと思った、ハリソン・フォード。若い頃の映像の合成なのね。

●そこまでの驚異のアンチエイジングではなかったにしろ、御年80歳でそれなりにノースタントのアクションもされてたのは流石でした。
ほんと、最後まで頑張ってくれてありがとう。

●時代の変化が如実に出たのはやっぱりヒロインのキャラクターでしょうか。
ヘレナ、だいぶ今風の逞しい女性でしたね。(最後は拳で白黒つけるし)
ハリウッド映画(だけじゃないけど)における女性の描かれ方も色々とチェックの入りやすいご時世で、逆にこういう女性像が「ベタ」「安全パイ」になっていくと、それもちょっと違うかなと思う所もありますが。

●本作が作られたことでの一番の「被害者」は、博士の息子のマットですね。
前作で物語の新しい展開として、(博士にも我々にも)予想外の存在として登場したインディ・ジョーンズの息子、本作では1秒の出演もなく故人になっているというこの扱い。
大人の都合で作るだけ作った子供を、持て余したら切り捨てるというのはいかがなものかと。(←言い方)
まあ、新作としての物語のメリハリやキャラクター配置の都合が主な理由だと思いますが、ここしばらく中の人が色々やらかしてて出演させられなかったという事情もあるかもしれない。
そしめ息子が居たらあのクライマックス展開もちょっと話が違ってくるので、生かしてたらこの話は作れなかったと思いますが。

●そんなわけで前作のバディが「息子」であったのに続き、今作は「疑似娘」。これはちょっと分かりやす過ぎるようにも感じました。
歳も歳だから、若くて体力があってついでに画面を華やかにする相棒が必要だったのはわかるけどな。

確認したところ本作では制作陣も少し変わったようで。
本シリーズに関しては、3部作で完結するのが最も綺麗だったであろうという気持ちもあります。(そしたら80年代の終わりと共にシリーズ完結してる。驚)
3作目の時点では多分そのつもりだったよね。

でも年月を経て再会できて、かつてのワクワクが蘇るこの機会を頂いたこと、長らくこのシリーズ・キャラクターを愛してこれたことには感謝。


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