みちの選び方はいつ習ったか。
未知の世界。道なき道を行く。
子供にとって親というのは、無意識のうちのレール。
想像をして決定をする。本来何もないところから何かを考えるのは不可能に等しいのかもしれない。
親の歩いてきた道、自叙伝がこの子供からみて、「あたりまえ」に見えるのは当然だ。なぜなら子供は疑わないからだ。
そして、そんな子供に対して無意識のうちに洗脳する。強く聞こえるかもしれないが、何事もそうだと思う。そんなつもりはなくても、真っ白な子供はすぐ色が移る。
答えを隠すような教育
答えを隠すような教育ではないと、本来の考える力を養うのは難しい。
1+1=2 「2」が答えではない。
正しいという考えには至らない。
「答え」=正しさ
答えに誘導するような教育。答えがあることを示唆するような教育は
考える力を無意識的に奪っている気がする。
正しい道も導き出す方程式も答え何千通り何万通りとある人生だ。
「成功」か「失敗」、人の人生はいつ決まるのか。
沢山の人が「それは人が死ぬときにしかわからない」というだろう。
まあ、そうだと思う。人生何が起こるかわからない。そう熟知している。
じゃあ、いつ死ぬのか知っている?
知らないけど勝手にまだ生きられるものだと思っている。誰もがそう思っている。
「明日死んでも後悔しない?」
なんとも現実味のない質問だ。と思ってしまう。
でもそういうことだと思う。
自分の人生が明日終わるとして、今日までの人生を自信をもって成功だと言えないならば
いますぐ、その人生を変えるべきだ。
君が、負け組だ。失敗だと思われたくないなら。いや「思いたくないなら」
そんな勇気を持たなくてはいけない。たとえ感覚を麻痺させてでも。
その判断はその時にしかしていけないわけではない。
過程(内容)より最終成果物(結果)主義の世界へ
結果主義。そんなのは当たり前なのかもしれない
結果、成果。成った果て、結んだ果て
過程は中身の話で、線のモノで、根のような道のような。
最終物として受け取られるものは、点でしかなく、一面の面でしかなく、一瞬でしかなく。
見せかけでどうにかなるもの。取り繕ったものどうせ見分けのつかない人生だったのだろうな?
飽きたの?諦めたの?
挑戦もしてない…
あなたに何が分かるの?
――――――
人生の完成度なんていつでも変わる
諸行無常の日々
良い大人。僕の価値観でしかないのかも。
でも若者に煙たがられたくないのなら、、
押し付けるな。時代にすがるな。
自分の古い物差しでモノをはかるな。
100人いたら100通りの人生?
10000000000通りの人生かもね。
「物差し」
人は、比べようとする。図ろうとする。
そんな性がある。
でも、時にそれはしてはいけない。
いけなくはない。それを勝手に断定してはいけない。
はかるのは自由だ。でも本当に自分の物差しにくるいがないのか
基準なんてものはないのだけど、どうにも自分の物差しだけが正しいような感覚になる。
何年もその物差しを使ってきたから。疑いもしない。覆すことは出来ない。
物差しだけじゃない。
単位だって違うかもしれない。
リッチ。
I am a rich man, ah are you?
それは、貯金「円」かもしれないし、趣味「個」かもしれないし、大切な人「人」かもしれないし、、、
2024年23歳になる一週間前。
自分語録を作ろう。
思っていることを話してみよう。
誰にでも語る人は苦手だ。
でも自分のために綴ろうと思う。
この先を証明していくために。
そして人は今を生きるから、過去をとどめておくことはできないから。
「見返すために」
ポート・リー
過去の鬱憤 2024.1.4 : ある人へのモヤモヤから生まれた言葉たち
より 2024.4.30
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