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自分を変えた会話

自分が生きてきて、印象に残っている場面、すぐにありありと思い出せる場面というのはいくつかありますが、その中で自分を変えたきっかけとなる場面はどこだったのかについて考えたことはありませんでした。

今振り返ると、私はあの時から変わったのかもしれません。

小学生になったばかりくらいでしょうか、祖父母の家に遊びに行くと、必ず帰るときには、「達者でね~」とおじいちゃんが面白い手の振り方えをしながら見送ってくれていました。当時の自分は「達者でね」なんて意味もわからず、おじいちゃんが面白くて笑っていた記憶があります。

最近まで「達者」という言葉の意味は、健康で丈夫なさまを表すので、「達者でね=元気でね」くらいに捉えていました。
しかし最近、「達者でね」という言葉は、今生の別れではないけど、それほど近いうちに会う人には使わないということを知りました。
絵を書いたり、小説をたくさん読んでいたおじいちゃんは、恐らくこの意味を知りながら使っていたと思います。
思い返してみると、私の親戚は「げんきでね」という言葉を使う人が多い気がします。会いに行った帰りはもちろん、電話を切るときも。思い出すととてもほっこりした気持ちになります。




少し話は変わりますが、中学生、高校生くらいのころには「お金持ちになって、将来は海外に住むんだ~」とか、キラキラした暮らしに憧れていた自分がいました。

その反面、自分の家庭環境は特段お金持ちと言えるような環境ではなく、多少なりとも不満を持つ時期がありました。

大学生の就活期頃だったと思います。
お酒を飲んで、母と二人、もしかしたら姉もいたかもしれませんが、父の仕事について話したことがあります。
「父さんがもっと出世してたら、お金持ちだったよね~」なんて、そんな年になって、父の仕事に対して少し不満を抱いていた自分。
今思い返すと、とても恥ずかしいことこの上ないです。。。

話は戻りますが、上記のような質問をした時、母は「なんかそんなタイミングもあったみたいだけど断ったんだよね」と。

「え、なんで。」率直な疑問でしたが、その時には言えませんでした。

実際に仕事をし始めて、辛いこと、責任が伴うことの大変さ、お金を稼ぐことの大変さを身をもって知りました。

うちの父は寡黙というわけではないですが、話下手なので、父と二人で何かについて深く話をする。という経験は今まで一度もありません。

ですが、深い愛情を感じる。そんな父です。
仕事を始めてから実家に帰ると、「ちゃんと食べてるのか」「仕事はどう?」などと口下手ながらジャブを打ってきて、、、心配してくれてるのが伝わってきます。

出世の道を断った父。その理由は実はまだ聞けていなく、自分自身や家族との時間のためなんだろうなあと想像しています。

そんな父の姿は、「お金が全てじゃない」ということを私に教えてくれた気がします。健康で、元気に生活していることが一番という風に。

#あの会話をきっかけに
私の人生の中で、こんな印象的なドラマティックな会話は今までありませんでした。

ですが、このテーマと向きあい過去を振り返ったことで、家族や周りの親戚の考え方は間違いなく私の変化のきっかけとなっていることを実感することができました。

いつか父に、出世を断った理由を聞いてみようと思います。
「めんどくさかったから」なんて言われたらどうしようか笑

まぁそれはそれで父らしい。

では。

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