見出し画像

短編小説|本の墓場と天才の閃き #1

「全部で5冊ですね、2週間後の10月18日までにご返却をお願いします」

ほとんどの人が無言のまま本を受け取ってその場を立ち去る。他県では自動化が進んでいるとの話も聞くけど、そうなったら私の仕事がなくなってしまう。静かな図書館で平坦な時間が流れる。刺激はないけど、平和な時間を過ごせることは案外幸せなのかも、と最近は思えるようになってきた。
そんな平坦で平和で平凡な仕事だから、ちょっとした変化や違和感にも敏感になる。そう、つい30分ほど前、おかしな来館者がいた。

図書館の本を借りるには「図書カード」が必要。一度登録すれば5年間は有効。5年毎に更新手続きが必要なんだけど、身分証明書があれば15秒で終わる。
「こちらのカード、有効期限があと1週間で切れます。すぐに更新できますが、よろしかったでしょうか?」
言い慣れたセリフなので、手元の端末は更新ボタンにリーチさせておく。
ところが。
「ん?それをしないと本を借りられないのか?」
50代くらい、背は高め、低い声で、髪は白髪混じりで少々伸びており清潔感が足りない。そんな印象の男性だった。
「はい、身分証明書の照合ができれば、すぐに終わりますけど」
「・・・・」
男性は少し考えているような間を持った。そして、ちょっと珍しい手続きを提案してきた。
「新しいカードをこの場で発行できますか?」
なぜそんな事をするのか意味不明だったけど、理由は聞かなかった。この男性とは会話をしたくないと感じてしまっていたから。
「ええ、できます。古いカードの登録は抹消しますね。では、こちらの用紙にご記入を」
その後数分で手続きは終わった。身分証明書も提示していただいたので、新しいカードを作る意味が一層分からなかった。

・・・違和感を感じたこの一幕が、私を事件に巻き込んだきっかけになったのだった。

1.第一発見者

依田未波よだみなみ、30歳、独身。足が不自由な父を、元気が取り柄の母と一緒に介抱しながら生活している。以前は地元では有力な企業で食品関係の研究職として仕事をしていたが、メンタル疾患を患い辞めてしまった。今は図書館の事務員として働いている。自他ともに認める地味女で、男っ気はまるで無いし、友達も少ない。

そんな私だけど、少しづつ自分を変えようと思ってYoutubeで色々と研究していた。そこで得られた答えとして、まずは運動からと決め、夜にジョギングをしている。女ひとりで危ないと思われがちだけど、たかだか1.5kmくらいの大通り沿いをコースにしていて、コンビニもコース上に3件もあるから安心。大したことのない距離ですら、運動音痴の私ににはつらい。それでも、平日こそはとやる気になってから、もうすぐ1か月が経とうとしている。何を隠そう、メンタル患者の地味女という自分で貼ったレッテルから脱出したいと本気で思っているので。
そして今宵もお気に入りのスニーカーでジョギングに出かける。いつも母は心配そうな顔で見送ってくれる。
「未波、気をつけなさいよ。最近変な事件が多いから・・」
「大丈夫だよ、お母さん」
21時を過ぎているから、玄関のドアをそっと開けて出かける。確かに毎度のことながら恐怖感を薄っすら感じる。いつものコースをサッと走り抜けようと覚悟を決めて。

今は図書館の事務員だけど、これはリハビリに過ぎない。体も心も鍛えて、改めて人生のスタートを切りたい。父と母のことが心配だけど、「好きなように生きなさい」と支えてくれる。申し訳ない気持ちもあるけど、私のことは私にしかできないから、と勇気を出している最中。
ジョギングをしている時はいつもこうやって自分を奮い立たせている。
「あの交差点を渡ったら・・」
少し息が苦しく感じてくる頃、ちょうど家まであと300mの交差点に差し掛かる。歩行者信号が赤だとちょっと嬉し・・いや、青で渡りきりたいと思っている。ところが今日は、赤の日だった。
ふぅっと息をついて、両手を両ひざに置きながら視線を足元に落とす。

「ブゥウウウウンッ!!」

後方から明らかに町中では感じるはずのない速度の風圧を感じた。とその瞬間には大きな衝撃音が走る。それは金属とガラスが混ざり合ったおぞましい叫び声のようだった。足元には細かい何かの破片が2~3個飛び込んできた。
あっけにとられながら体を起こし前方を見ると、横転した車と、前方が原型をとどめていない車が交差点の中央に鎮座していた。

幸いにして目撃者が多数いたため、夜分に赤色灯が無数に焚かれたその光景を茫然と見ていることしかできなかった。救急隊の人からケガの有無を聞かれたが、首を横に振るしかできなかった。その後は警察官の方から事情を聴かれたが、私は直視していなかった為何の役にも立たなかった。
時間にして20分ほど経過したとき、スマホが震えていた。母からだった。このアラームによって時間を取り戻した私は、警察官に一声かけてその場を立ち去った。
後日に分かったのだけど、一番近くで目撃したのは私だったと警察官から教えてもらった。事故に巻き込まれずに済んだラッキーガールとあだ名をつけられて。

つづく

この物語はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?