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短編小説|本の墓場と螺旋スイレン #4

4.螺旋スイレン

救急隊の人から体調を何度も確認された。

脈拍は正常値、外傷もない、恐怖のせいか少し体の震えが止まらない程度。
救急車で運ばれるような状態ではなかったので、事務室の端にあるちょっと古めのソファで毛布にくるまれている。

周囲には救急隊の人が1名、警官が2名、図書館の警備員さんが1人。
そして山根さんが私の隣で体を寄せてくれている。
あの人影にタックルしたのは青少年センターの大山さんであることがわかった。腕に擦り傷を追ったらしく救急車のほうで簡易的治療を受けていると、山根さんがゆっくりと説明してくれた。

私を襲撃したあの人影については、被害者である私の目や耳には入らないような形で事態を終息させていた。山根さんも何も言わない。
事務室の窓から、赤色灯の真っ赤な光がリズムよく差し込んでいるから、なんとなく察した。

「依田さん、今ね、お母さんが迎えてきてくれるって連絡ついたんでね、もう安心して大丈夫だからね!」

救急隊の人のケアは非常に丁寧。
母が来るということで安心感はあるのだが、昨晩の言い争いが頭をよぎる。
あろうことか、父が心配していた状況に現実になってしまったから余計に。

「・・はい、じゃあ、倉井巡査が来たら・・・はい」

1人の警官が無線で連絡をとっているけど、倉井巡査という単語はハッキリ聞こえた。美歩さんのことだ。するともう1人の若そうな警官が、ソファで座っている私の目線に合わせ屈みながら話しかけてくる。

「依田さん、もう大丈夫だから安心してくださいね。ウチの倉井と面識があるってことで、体調が落ち着いたら倉井からお話聞きますから」
「は・・い」
頭ははっきりしているが、口先がイマイチ動かない。そんな状態に少しもどかしさを感じる。山根さんはさっきから仕切りに私の背中を優しくさすってくれているけど、それが本当に心地よい。
間もなく、廊下方向からカッカッカッと小走りする足音が聞こえてきた。次の瞬間には、事務室のドアをカチャリと開ける音。ゆっくりそちらに目を移すと、美歩さんが息を切らしていた。

「あ、倉井巡査、おつかれ様です」
「はぁー・・・ふぅー・・。お疲れ様です、吉井巡査部長・・・」
「そんなに急がなくても」
「・・いいえ、これは、私の責任ですから」

カジュアルな普段着っぽい装いだが、らしくなくちょっと髪型が乱れている感じ。それだけ慌てている様子が伺えた。

「・・現場観察は?」
「大丈夫、もう終わっている。あとは、依田さんの回復をまって状況把握だけだ」

私に話しかけてくれた警官もすくっと立ち上がり、美歩さんに状況説明した。

「そちらの山根さんと負傷した大山さんは、話は聞けてますんで」
「ありがとうございます、竹田巡査。ちょっと情報の引き継ぎお願いします」

そういうと私からは少し離れた場所へ、警官3人が集まって話し合っていた。初老の警備員さんも途中で呼び出され、話に加わっていた。

「それじゃ、僕達はこれで。なにか体調に異変を感じたら、遠慮なく連絡してくださいね」

救急隊の人はそう言い残し、小走りで事務室を出ていった。ありがとうすら言うタイミングもなく。

「山根さん、今、何時でしょうか・・?」
「今ね、夜の8時くらいよ」
「お腹、空きました・・えへへ」
「あなたってば・・」

山根さんが嬉しそうな顔のまま、ちょっとだけ涙が滲んでいる。

「本当に・・・どうなるかと思ったわ」
「ちょっと状況がわかんないんですけど、山根さんが助けてくれたんですか?」
「ちょうど、2階の戸締まり巡回していた時に、外をうろつく人影を見つけたのよ。動きが怪しかったからそれを見ていたら、あなたが駐輪場に現れて」
「・・・上から、何か投げました?」
「窓際にあった観葉植物をね、鉢ごと投げちゃった!古文さんに怒られちゃうわ〜」
「いいんじゃないですか?古文さんに弁償してもらえば」

ようやく和やかな空気感を感じることが出来始めた。私の震えも止まっているような気がする。毛布にくるまっていた手足を、うーんと伸ばす。
と、美歩さんが話を終えたのか、私の元にやってくる。二人の警官の姿はもうなく、警備員さんも帽子を取りながら頭を下げ、無言のまま退出していった。

「お体、大丈夫ですか?」

マスク越しでもいつも素敵な笑顔で語りかけてくる。私が男性だったら、ちょっと惚れちゃってるかも。

「大丈夫です、なんとか元気が出てきました」
「それはよかった。・・でも、今からちょっと状況把握としてお話聞きたいのですけど、気分が悪くなったりしたら言ってくださいね」
「はい、大丈夫です」

そうは言いつつも、美歩さんのほうからまずは状況説明が始まった。

私を襲撃した人影は、やっぱり猪狩葉子だった。
今日午前中、私が美歩さんへ本の貸出者が猪狩葉子だと伝えた後、その足で本人のもとへ取り調べにいったとのこと。
しかし、猪狩容疑者は花屋として植物の毒性の有無を確認するため本を借りたと述べ、事件との関係性を否定した。
署への動向には応じなかった。
仕方なく美歩さん達は花屋を後にしたそう。

並行して、給食センター作業者11名のうち、猪狩容疑者と接点のある人物として、小谷こたに梨絵りえという人物が浮上したのだが、そちらも毒物混入を明確に否定しているとのことだった。

明確に否定されているからこそ、客観的証拠を警察は探していた。
そこまで進んだ段階で、私が襲撃された。

「細かい事はこれから取り調べるのですけど、依田さんが先程襲われた時、何か言われたことはないですか?」
「そう・・ですね・・私が、警察に通報したんだろ、みたいな事は言われました」
「なるほど・・」

美歩さんは手元のメモ帳らしきものに書いている。

「あとは、そんなに特別には」

ふむふむと頷きながら、何かを書いている。

「山根さんからはすでにお話聞いてますけど、犯人はどれくらい前から外にいたかわかりますか?」
「いえ、時間はちょっと・・」
「わかりました」
「あの、美歩さん。私が襲われたってことは、猪狩って人は警察を恐れているってこと、ですよね?」

美歩さんは少し考えたあと、私見だと前フリした上で答えた。

「そうね、警察を恐れていることは間違いないわ。食中毒事件との関係性を疑っていて、その証拠はこれから入手出来ると思うのだけど・・動機が見えなくて」
「給食センターで毒をいれるって、相当な何かがないとやらないですよね」

うーんと煮詰まった雰囲気になってしまったところで、誰かが事務室のドアをノックする。

「未波、ここにいるの?」

先ほどの警備員さんに誘導されてきた形で、母が事務室のドアから顔を覗かせた。その顔色は不安げだったが、私と目を合わせるなり目元がみるみる緩んできた。

「あんた・・ねぇ・・」

そのままヨロヨロと私に近づき、目の前で膝を崩すような姿勢で私を抱きしめてきた。

「よかった・・ほんとうに、無事で・・」

山根さんはスッと立ち上がり、よかったね、というにこやかな表情を浮かべたまま母との対面に気遣い、静かに去っていった。
すすり泣く母に、心配かけて申し訳ない気持ちと昨晩意地を張ってごめんなさいという気持ちが同時に溢れ、私も涙が滲んでしまった。

「親ってのはね、子供のことを、一番に考えるのよ・・」
「ごめんなさい、お母さん・・」

意地だけで言えなかった言葉が、簡単に言えた。

図書館事務員の身でありながら警察の捜査に協力していたことは楽しかった。
誰かの役に立つという事が、嬉しかった。
でもそれは麻薬のような刺激であり、日常生活において浸るべきものではなかった。
恐怖の場面に遭遇し自分の行動を省みる事がようやくできた。
父の言葉も、この時になって理解することができた。
親の気持ちが、ほんの少しわかった気になれた。

「・・・動機は、子を思う母の気持ち・・・」
「・・え?」

美歩さんもこの場面で拍子抜かれた声を出した。

「美歩さん、怪しいと思われる二人は、子供がいるんじゃないですか?」
「え、ちょっと待ってね」

何やら手元のメモ帳で情報を確認しているようだった。

「たしかに、小学生の子供がいるね・・ふたりとも。住所からして同じ小学校・・今回中毒事件のあった小学校かしら」
「事件のあった日、そのお互いの子供が登校していたかどうか」
「あ・・そういうことね。毒を入れるって分かっていたら、自分の子供は休ませる・・!」

何か別の人格が乗り移ったかのような私に、私自身が一番驚いている。

「そして、もう一つだけ気になる事があるんです」
「もう一つ?」

母もさっきから拍子抜けた感じで、なんなの?という顔で私に驚いている。

「猪狩容疑者のお店で、じゃがいもかトマトの苗が大量に保管されているかもしれないんです」
「じゃがいも・・?」
「貸出したModern Alkaloidsって本はアルカロイドという化合物の研究論文をまとめたものですけど、じゃがいものソラニンやトマトのトマチンも含まれていて・・・毒性についても記述されているはずです」
「じゃがいもやトマトから毒物を作れるの?」
「それなりのラボじゃないと致死に至る濃度を精製できないのですが、日常的に入手しやすいもので、食中毒症状を引き起こすレベルならできてしまうかと」
「ということは・・」
「我が子に有利になるように毒を盛る、という次なる手引きを企てているのかもしれません」

私のブーストはそこで終了した。なぜなら、急激にお腹が空いてきたから。
美歩さんも母も驚いたままだったが、私のお腹がなってくれたおかげで、目立たくこの事務室から解散することになった。

「帰りましょ、もうここにいる必要はないわ」

母は、半ば強制的に会話を終了させ、私を安息の地へ誘う。そのまま警察官である美歩さんへ軽く頭を下げ、私を連れ出してくれた。きっと、警察官に対して助けられた感謝のような、危険な目に晒された迷惑のような、複雑な思いをしている母の気持ちもこの時初めて理解できた。
美歩さんも深々と頭を下げているだけだった。

帰り道の車の中ではぼーっとしたままだった。
色々と母に話しかけられていたのだが、記憶には全く残らなかった。

恐怖と覚醒を一度に感じた一日は、こうして終わることになった。

◇◇◇

翌日には捜査は進展していたとは思うけど、2日後くらいに二人の容疑者逮捕の一報が事務室の32型テレビが教えてくれた。ワイドショーではテトロドトキシンの入手経路について熱く語っているようだったけど、相変わらず私は心理カウンセラーの言い分を守り、事件の詳細については聞かないようにした。
自分のメンタルを守るためでもある。

しかし、美歩さんからの追加情報は受け取らざるを得なかった。
猪狩容疑者のスマートフォンの履歴から複数の別の人物に毒物を手配する旨のメッセージが見つかり、予想通り自宅兼店舗からじゃがいもが多量に見つかった。表立っていない同様の毒物混入事件も数件あると、余罪の疑いも強まったらしい。
すでに私を襲撃した事で身柄は拘束されているものの、更なる事件の拡大を未然に防ぐことができた成果が非常に大きいと称賛をいただけた。

子を思う母の気持ちが、間違った方向に進んでしまった悲しい事件。
あのウォーターリリィという花屋はその負の連鎖を発生させる諸悪の根源だったということで、この事件は幕を閉じる事になった。

こうして通算2度の捜査協力を終えた私だが、この後大きなキャリアの転換を迎えることになった。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

本作は「本の墓場と天才の閃き」の続編にあたります。
前作はこちらから読むことが出来ます。


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