見出し画像

短編小説|本の墓場と螺旋スイレン #5

5.思いがけないエージェント

給食センターで発生した食中毒事件から1か月ほど経過した。
恐怖の事件はすっかり忘れ去られ、図書館は例年通り夏休みの子供達で賑わっている。
私の担当した食品衛生のコーナーも大盛況。
子供は色々とっかえひっかえ本を漁る中、真剣な眼差しで図書を手に取る父母も多い。先の事件がタイムリー過ぎたのだと思う。

「大盛況でよかったのう」

古文さんが私の隣にまで近づいて目を細める。セクハラ疑惑のある老人なので、私は半歩右にズレる。

「そうですね、こぶ・・古城さんのご提案のおかげですね」

ここは私の成果より、それを指示した古文さんを持ち上げたほうが良い。会社員時代のノウハウだ。

「そうじゃろ、そうじゃろ?食ってのは、生きる上で最も大切な活動の一つ。その安全面を蔑ろにしてはあかん!」

妙にまじめな事を言うなと感心しつつも、自分の当番もあるので無言で図書整頓作業を続けることにした。
すると、前方の事務室側の通路から、山根さんが私を目掛けて駆け寄ってくるのが見えた。

「依田さ〜ん、外線電話がきてますよ」
「え?外線?」
「警察の方よ、捜査1課の課長さんだと名乗ってたわ」

これまたすごい人からの連絡だった。でも、美歩さんから賞賛された事を思い出し、捜査協力の御礼だろうと容易に察しがついた。
そのまま小走りで事務室に戻り、受話器を手に取った。

「もしもし、依田ですけども」
『もしもし、ああ、お忙しいところ申し訳ありません。私、捜査一課の林田と申します。倉井巡査から聞いてましてね、昨年も合わせて2度にもわたって捜査にご協力いただき誠にありがとうございました』
「いえ、私はそんな・・」
『また、容疑者から襲撃に合ったことでしたが、その後の後遺症もないと伺いまして、本当によかったなと』
「いえいえ、お気遣いありがとうございます」
『そこで、本題なのですが、このような電話ですら失礼かと存じましてね、一度会ってしっかりお礼をさせていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?』
「え!?そんな、お電話で十分ですよ?」
『まぁまぁ、そう言わずに。職場である図書館のほうへ伺いますので、ご都合の良い日を教えていただければと』

なかなかに強引な話だったので、保留にして急いで古文さんと山根さんに相談を持ち掛けた。
お礼を言うだけなら電話で済むはずなのに、という二人の懸念も参考にしつつ、それでも警察が悪い事するわけないので面会に応じることにした。

◇◇◇

「・・・っていう経緯でさ、明日面会するの」
「そうか」

父は私の顔も見ずに発声したので、恐らく虫の居所が悪いのであろう。

「あんたねぇ、もう事件に首突っ込むのはやめなさいよ」

母もここぞとばかりに促してくる。

「わかってるよ。図書館で働きながら、転職活動続けるから」
「ワシは転職もどうかと思っとるぞ。また企業に就職したところで、同じような心の病気になるだけだ」
「お父さん、そんなこと言わないでよ。私は今の図書館の仕事はリハビリにしか考えていないんだから」

相変わらずキャリア感については親子間で乖離している。
ただ、この前の母の涙を見ているからか、子を思う親の気持ちも少しはわかる気がした。

「私はあんたが好きなようにすればいいと思ってるよ。ただ、危ないことはしてほしくないのよ」

母の一言で締められた。そんなの・・わかっているよ。

林田課長と面談するその日はあいにくの雨だった。ブーツ型の長靴で図書館へ行く、雨の日は徒歩にしているから。15分くらいの距離なので、ちょっとしたダイエットになる。だから、雨の日は私にとってはポジティブな気分になれる日だったりする。

今日、林田課長さんとは11時の待ち合わせになっている。なんだか緊張しているのが周囲の人にバレたせいか、雨の日は図書館利用者も激減するので暇なのもあってかわからないけど、妙にみんな声をかけてくれた。

そんな中、事務室のデスクで山根さんが古文さんに話しかけていた。

「ところで古城さん、今回なんで食品衛生の企画を思いついたのですか?」
「んあぁ?それはなぁ・・・」

怪訝な表情の古文さんの次の言葉が気になり、みんなが静まり返る。

「ワシがこの前、腹をこわしたんじゃ。嫁が出した紅生姜が腐っとるのが原因だと思うのじゃが、嫁は一切謝らんくてな!」

静まった周囲をよそに、プンスカしている古文さんの勢いは止まらなかった。

「悔しいから、食品衛生の企画をしてやろうと思いついたんじゃ!」

なーんだという空気感が一気に蔓延したので、山根さんがオチを付ける。

「それじゃ、奥様に来ていただかないと意味がないですね」

事務室が笑い声に包まれた時、来客用の内線電話がなった。


事務室の横にある応接室は滅多に使わない。私がココに立ち入ったのは、1年近く前の捜査の時に原口巡査部長が来て以来だった。
目の前には清潔感溢れる短髪に西郷隆盛のような目力の林田課長と、倉井巡査・・美歩さんがいる。私の隣には青少年育成センターの大山さんもいる。

「捜査への協力、誠に感謝いたします」

起立したまま林田課長が深々と頭を下げ、応接室のソファに腰掛ける。

「いえいえ、とんでもないです。私は図書館の事務員としてできるだけのことを」
「それが素晴らしいのです。依田さんにしか出来ないことが、チームとしての成果に繋がるのです」

やけに説得力のあるセリフに、この人も採用担当の人なんじゃないかと錯覚する。と、隣にいる美歩さんが、いいですか?と林田課長に確認してから説明する。

「署内で検討しまして、感謝状の授与も是非お二人にと」

いつも以上にキリッとした面持ちでこれ以上無い賛辞を伝えてくれた。

「え、ほ、ほんとうっすか!?」

私より先に出た大山さんのタメ口の喜びに内心ガッカリしたが、素で喜んでいるような表情だったので思わず私もフフッと口元が緩んでしまった。

「大山さん、キミの勇気ある行動は称賛すべきだが、一歩間違えれば大きな被害にあってたかもしれない。それは、忘れてほしくない、がね」
「あ、はい・・」

林田課長に諭され、再び緊張感有る表情に戻った。

「して、依田さんなんだが」
「はい?」
「もちろん、前回の捜査の協力もあっての感謝状なのだが、化学的知識をお持ちのようで」
「ええ、以前は食品関係の研究職でしたので」
「なるほど・・。今はパートタイムと伺ったのだけど、間違いないかな?」
「そうですけど、それが何か?」
「科捜研、どうかなと思いまして」
「え?かそうけん?」

科捜研とは、科学捜査研究所の略称。某ドラマのタイトルで馴染みのある単語だったが、その場で言われても全く理解が追いつかなかった。
しかし、そんな状況をよそに林田課長はそのまま話を続けた。

「あくまで情報提供だけで、採用が確定しているわけではありません。ただ、科捜研の人員不足が逼迫してましてね。特に化学系の方を探しているのですが、依田さんならぴったりの人材だと思いましてね」

これはつまり、林田課長が転職エージェントのようなものだと納得した。たしかに転職活動をしている私にとってとても良い話であるとは思った。
しかし・・。

「いえ、あの、今の仕事に満足しているので・・」

昨晩父から言われた一言が、この時私の浮ついた気持ちを引き止めにきた。

「そうですか。まぁ、この場でご決断を迫ることではないので」

林田課長は後頭部をポリポリとかく。

「採用情報は、年明け1月頃に公表されると思います。ご興味ありましたら、ご検討してくださいね」

マスク越しとはいえ、得意の美歩スマイルで私を誘う。
ズルいです、美歩さん。

「それでは、話は以上です。感謝授与式の日程についてはまた別の者から連絡させていただきます」

そういうと、次の予定の為かそそくさと警察官の二人は立ち上がってしまった。応接室のドアの外には、もうひとりの警官がいて、そのまま誘導されて図書館の来客用通用門の方向へ抜けていった。
呆然と見送った私と大山さんだったが、山根さんと加納センター長が後ろから声をかけてくれたところで、この緊張感から開放してくれた。


それから1ヶ月後、年の瀬が迫り周囲が忙しくなり始めるころ、市役所の高階にある1室で感謝状を手渡される小さな式典が行われた。地元メディアもいてインタビューもされたけど、緊張のせいか何を喋ったのか全く覚えていない。

ただ、映りうつ映えばえのしない地味目な私をよそに、肉体的活躍を遂げた大山さんはそのキャラクターも相まって非常にメディア映えが良かった。おかげで私は注目を浴びずに済んだ。2度も彼に助けられた形となるとは・・。

ローカルのTVでも取り上げられたこともあってか、程なくして学生時代の地元の友達数人からも連絡が相次いだ。ちょっとしたフィーバータイムだった。

素直に言って、人から認められることは嬉しい。
それも、特別自分が何かをしたわけではなくて、自分に出来ることをやっただけなのに。
私に足りなかったのは、そういった「自信」を取り戻すことだったのかもしれない。前職の研究職では、その「自信」を封じ込められていたから。

図書館での仕事には決して満足していない。
でも、それが逆に今回のような称賛を得ることになったのだから、人生ってなにが起きるか予測不能だよね。

そして、この予測不能な人生には、もう少しだけ続きがある。

私のモヤっとしていた人生観に少しだけ晴れ間が覗いたこの出来事をきっかけに、私のキャリアは栄転することになる。

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

本作は「本の墓場と天才の閃き」の続編にあたります。
前作はこちらから読むことが出来ます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?