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短編小説|明日を探す私の進路

ラケットがボールを跳ね返す快音とセミの声が遠くに聞こえる教室。
三者面談で反抗的な態度を取ったことが、最初の一歩だった。

「今のところはかなりの好成績ですね。特に英語がよいので、花海外国語大学への進学も充分かと」
年配の男性が自分の事かのように断言する。進路相談員の立山先生だ。
「あら~、そんなことないですわ」
否定しつつも嬉しそうな表情を見せる母に嫌悪感を抱く。
「花山外大ですと、国家公務員や大手航空会社などへ多くの卒業生がいます。どんな社会人になるか期待していますよ」
そう言うと立山先生が見せてきた厚めの冊子を食い入るように見る母。ふむふむと目を通した後で、私のほうをスッと見る。下ばかり向いていて態度の悪さが気になっている様子だった。
「まだ将来のことは考えていないの?」
「・・・少しだけなら」
私の回答は明らかに不自然だった。すぐさま立山先生がフォローに入る。
「この時期はまだ自分の将来像がハッキリしない生徒が多いですから、ご心配なくお母さん。まずは今の成績を維持してレベルの高い大学に行くことを目標にしてみるのがいいですよ」
悔しいがその通りだと感じた。
でも、違和感が私の背中から吹き抜ける。
「成績が良ければ何でもなれるんですか?」
突然の反抗的態度に二人の大人が言葉を失い戸惑いを見せる。
すかさず追い風が吹く。
「勉強していれば将来が決まるんですか?」
ほどなくして、私の態度が悪いまま三者面談は終わった。誰もいない校舎を来客用玄関に向かって歩いていたとき、母から尋ねられた質問にはいまだに答えられない。
「遥香は、将来何したいの?」

私は、山科遥香やましなはるか、17歳。

半年後には受験という戦場に送り出されるため、目下訓練中の兵隊のようなものだ。
中学校の頃にバスケをやっていたが大した成績を残したわけでもなく、高校からは無所属帰宅部。友達は可もなく不可もなく、成績はまぁ良いほうだと思う。趣味は、え~と・・動画鑑賞、かな。
ナイト君っていう彼氏がいます。まだ3歳のお尻のでかいコーギーだけど。

将来何になりたいか、高校生のうちに決まっている人ってそんなにいるのかなといつも思う。みんな美容師とかアナウンサーとかYouTuberだとか具体的な職業を語っているけど、それは目立つ職業でみんな知っているからだけ。この前、市役所の市民課の窓口に行った時奥の事務所に多くの大人がいたけど、ああいう場所での仕事が大多数だと思う。
そんな現実を発見してしまうから、将来なんて「夢は叶うものではない」と達観しちゃってるのかもしれない。
それよりも成績が良ければ人生うまくいく、そう感じている。
そんなわけで私は、日々の勉強を淡々と済ませている。漠然とした将来のために。

1.食べ損ねたカスタードあんぱん

ある日曜日、家には彼氏(犬)と私の二人だけになった。

父は自動車メーカーの技術職で、先週から北海道の試験場に行ってしまっている。母は印刷会社で働いているが、今日は展示会の対応で朝からいない。
あとは兄のようなヤツが一人いるが、大学生活を満喫中で半分音信不通。
まだ学力診断テストまでは日にちがあるので、今日はYouTubeでのんびりする。それでもお腹の時計は正確。会話の通じない彼氏に話しかけた。
「福の木さんのパンをお昼にしよう」

パン屋までは歩くと500メートルくらいはあるが、道中に小さな川辺を左手に見る。春は桜がキレイなお気に入りのスポットで、何度かインスタでアップした。犬の散歩をしていると顔見知りの人が増えるせいか、今日も近所のおばさんに遭遇したやいなや話しかけられる。
「あ、遥香ちゃんこんにちわ。今日はワンちゃんはいないの?」
「おばさん、こんにちわ~。犬がいるとパン屋は入れないので」
「福の木さん?あら~いいわね~。あっ、そういえばウチのご飯どうするか考えていなかったわ~」
あっはっは~と言いながらおばさんはゆっくりとそのまま歩いていく。
福の木というパン屋さんは近所でも評判がよい、中でもカスタードあんぱんはお一人様1個の争奪商品だ。

お店に着くと幸いなことに列がなかった。ラッキーと心の中で小躍りしながら少し軽めの扉をくぐると、香ばしい匂いのサウナのよう。トングとトレーを華麗な手つきで装備するとカスタードあんぱんを早々にゲットする。あとはお惣菜系と母のおやつ用のパンを選ぶ。チキンカツサンドがおいしそーって思ってトングを差し伸ばした時、後ろから子供の声が聞こえた。
「ええ~なんでぇ~、食べたかったのにぃ!」
大慌てで母親らしき女性が周囲をキョロキョロ見渡しながら子供を一生懸命なだめている。
「そんな大きい声出しても、売り切れだからしょうがないよ」

そのまま、店内のカウンターから女性店員が歩み寄り、子供の目線にあわせてしゃがみこんで何やら話している。
「あと、50分くらいで焼けるけど、待てるかな?」
母親は申し訳なさそうに答えていた。
「いえ、あの、大丈夫です。他のおすすめのパンを教えてくだされば」
恐らくカスタードあんぱんのことだと悟った私だったが、自分の抱えているトレーに目を落としながら選択を迫られていた。
カッコよく子供のために手元のパンを差し出すか。
知らないふりをして私のお腹に収まってもらうか。
結局、私はパンを差し出した。最初は遠慮して受け取らなかったが、私も結構強引に渡してしまった。泣き顔から笑顔に瞬時に変わった子供のありがとうという声が、帰り道でもずっと私の心に残り続けた。カスタードあんぱんは食べ損ねたけど、自分にできることをした後だからお腹いっぱいになれた。

2.繰り返す本音

3日後の水曜日、担任の菊間先生から呼び出しされてしまった。
「山科さん、進路の件だけど、ちょっと話を聞きたいので放課後に職員室の向かいにある相談室に来てください」
進路相談の立山先生じゃないところに違和感を感じつつ、はいと軽く小さな返事をして、自分の机に戻る。
「・・・やだなぁ、めんどくさいなぁ」
思わず心の声が漏れてしまった時、隣の席の友人の琴葉が即座にリアクションしてきた。
「どうしたんだい、遥香くん」
「進路相談の呼び出しだされた~」
「ん?遥香は英語がめっちゃいいから、外大に行くって決まってるんじゃないの?」
琴葉の発言は正しい。やはりこの前の悪態のせいかな、と自分を責めてしまう。
「うん、まぁそうなんだけど・・」
「だけど?」
真剣なまなざしで私を見てくる友人がいて安心感を覚えた。そこで思っていることを口にした。
「先生に勧められた進路だから、なんか違うなって気持ちなんだよね」
こんな事を言われたらどう返事してよいか分からないと思う。それでも琴葉は真摯に受け止めてくれた。
「それでいいんじゃないの、自分の将来なんて自分だけで決められるものじゃないでしょ」

菊間先生は40代後半のおばさん。表情がいつも硬く、愛嬌が全くないことから女子生徒の間では非常に評判が悪い。相談しにくいタイプだ。
静かな職員室前の廊下をそそくさと歩く。相談室は明かりがついているので、そろぉ~っと戸を開ける。
「ノックぐらいしなさい」
表情の硬い人が手元の資料に目を通しながら、こちらを見て催促してきた。
「す、すいませんでしたっ」
最初からパンチ一発くらってしまった、私が悪いのだけども。
対面におかれた安そうなソファに腰かけると、菊間先生はすぐに話し出した。
「先週の三者面談の結果を立川先生から聞きました」
やっぱりなと思いつつ、何を言われるのか分からなくて私の表情も硬めだ。
「山科さんの受験希望について、改めて確認をさせてほしくてね」
「・・はい」
「先月の進路希望アンケートでは、将来のなりたい姿の欄が空白でしたね」
そういえばそんな生意気な回答をした記憶があるが、真実だ。
「・・はい」
同じようなリアクションが続く。
「なんとなく進学するのではなく、目的を持ってほしいの。自分が今後何をすべきかをね」
なんだか説教モードに早くも突入した雰囲気で、菊間先生の猛攻は続く。
「まだあなたの年齢なら夢でいいかもしれない。世の中夢が叶う人は多くは無いけど、希望持ったり挑戦する気持ちというのも大事だと思うの」
意外にもその表情は真剣で、私の心の扉を開けようと問いかける姿勢だった。
「・・・はい」
しかし、はい、という返事と真逆に私はロックに手をかけた。
やれやれといったため息が聞こえそうな表情をした菊間先生は、手元の資料に目を落とした。何やら少し考えた上で、再び問いただす。
「今すぐ将来の夢なんて見つからないと思うの。山科さんの成績は良くて、特に英語が得意だから外国語を扱う仕事が合うと思うわ」
先生がなぜそんなに焦るのか不思議だった。そしてそのまま思った事を口にした。
「英語は点が取るのが楽なだけです」
菊間先生の顔色が変わってしまった。
「これから社会に出るには、成績だけでは通用しないことがたくさんあるのですよ!」
そんなの知ってるって、と言い返したところでバトルになるだけなのでやめておいた。
それ以上、進展がないまま相談室を退出した。しかし、菊間先生にしてみれば、私の意志を確認する目的は果たされたと思う。退出するときに「わかりました」と発言しておいたから、多分私は「外国語を扱う仕事を目指す生徒」というキャッチフレーズが付くだろう。

そんな稚拙な妥協に満足しながら下駄箱に向かう。廊下はいつも以上にひんやりとしていた。

3.伝わらない憤り

帰宅後、父の靴が玄関にあることに気づいた。リビングに向かうとテレビから聞こえる笑い声とともに、脱力した父の姿を目にした。
「おかえり、はーちゃん」
キッチンのほうから明るく母が声をかけてくれた。家の中だけ、小さい頃から変わらずにはーちゃんと呼んでくれる。
「今日は遅かったわねぇ」
「うん、菊間先生と進路の話があってさ」
「あら、何かあったの?」
母は思い当たる節がある感じだった。この場で全部を語るのはダルイなと思い、少し省略した形で説明をした。
「将来の夢について確認されてさ、外国語を扱う仕事、になった」
再びにこやかな母の表情に戻った。どうやらこの結論は母の意志とも一致していたようだった。
「あら~そう。お母さんもそういう将来がはーちゃんに合うと思ってたのよ」
私は学校のカバンをソファーにおいて、リビングの椅子に腰かける。テレビ画面を数秒眺めた後、菊間先生に対する不快感を相談してみた。
「ねえ、お母さん。成績が良いだけで、将来ってきまっちゃうのかなぁ?」
「え?」
困惑した表情の母だったが、すぐに返事をしてくれた。
「成績が良ければ選択肢が広がるのよ。なんにでも成れる可能性があるの」
聞きたい事の答えになってないような気がして、もう一度問いかける。
「英語が得意だからって理由で、外国語を扱う仕事なんてできるのかなぁ、と思って」
「英語が得意なのははーちゃんの才能なんだから、自信を持てばいいのよ」
「ちがう、そういう意味じゃない!」
自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。テレビの中の芸人たちの笑い声がむなしく響く。

無言のまま、母は目の前に私のマグカップをそっと置いてくれた。
「ちょっと疲れてるんじゃない?レモンティあるけど、飲む?」
母はいつもポジティブで前向きな気持ちにさせてくれるし、気遣いも上手くて大好きだ。でもこの時は何故か私の気持ちが通じてない気がした。
「ちょっと部屋に荷物を片付けてくるね」
帰宅したままの恰好で落ち着いて考えることも出来ない。母に言われたとおり、私に必要なのはリラックスだと思いカバンをソファーから取り上げた時、父が急に喋りだした。
「外国語を扱う仕事っていっぱいあるぞ。通訳、翻訳、外資系企業、官公庁、航空会社・・・」
「それがなに?」
煽り口調ではじき返す。ハッキリ言って父は嫌い。あんまりしゃべらないし、美味しいお菓子とか買ってこない。最近は遊びにも連れて行ってくれない、そもそも家にすらいない。
「遥香はどんな仕事がしたいのか?」
「そんなの決まってないから聞いてんじゃん!」
せっかくレモンティでまぁいいやと思えたのに、蒸し返してくる事が非常に煩わしい。大げさなため息をつき、ドスドスと我が部屋につながる階段を上っていった。

4.まとわり憑く影の支配

その日から2日ほど、父と母には口を聞かなかった。怒っているというより、歩み寄ることができない状況を作り出した自分の引き際がわからなくなっていた。
そして、そんな状況の実家は最高に居心地が悪い。大学は一人暮らしの予定で不安もあったけど、逆に今はとても待ち遠しい。そんな誤った自立心の芽生えを感じていた。
学校までは徒歩14分。かなり近所のほうである。
もうすぐ夏休みというタイミングもあって、日差しの強さは相変わらず。通学途中の私の気力も干上がってしまいそう。ふらふらっとしながらも、日陰でひんやりしている下駄箱に到着すると、琴葉もちょうど来たところだった。
「おはよ~、琴葉~!」
珍しく、自分でも驚くくらい元気な声が出てきた。
「ん?おはよ遥香。なんだか機嫌がよさそうね」
琴葉はテニス部で鍛えているせいか、いつも涼しげな顔をしている。
「そうかな?汗だくですでにクタクタだけど」
疑われたような目でチラチラ見られる。
「キミから話かけるなんて珍しいなと、ね」
流石、私のカラ元気をするどく察しているようだ。家ではあんなにダークサイドな雰囲気だから、反動で学校ではつい明るくなってしまう。
「そういう気分のあるということで・・えへへ」
「わかったわかった。そんな明るい遥香に良いお知らせがあるよ」
琴葉はすぐさまスマホの画面を見せてきた。

 ≪オープン1周年記念の感謝デー!≫ 福の木

「おお、近所の福の木さんじゃない!」
これには素でテンションが上がってしまった。
「今度の水曜からなんだけど、ちょうどテスト期間の終わりの日だから、午後イチでみんなで行こうかと思ってさ」
「おっけー、行こう行こう」

ところが、そんな楽しいイベントを迎えることにはならなかった。

肝心のテストでは明らかに手ごたえが悪かった。
問題の内容がすぐさま頭に入らない。答えが浮かび上がってこない。まるで知らないことを問われているような。
ふと試験中に、本来勉強をしている時期に親子喧嘩を勃発させてしまったからだ、と頭の中で逆恨みまで始まってしまった。私の特技はテストで点を取ること。その唯一の特技が崩壊したら・・・私には何も残らない。
そんな「独り絶望感」を背負い込んでしまった。

朝一のハッピーな情報とは裏腹に、やっぱ都合が悪い、とだけ琴葉に言って帰ってきてしまった。
気が付いたら、自分の部屋のベッドで天井を眺めていた。スマホには未読のメッセージが13件あるが、目を通す気力はない。
ここまでたどり着くまでの道中でいろんな人と会ったはずなのに、魂のない肉体だけで会話していた気がする。

本当のこと言ったり、気になったことを聞いたり、母や先生の言う事を聞いていただけなのに、なぜこんな気持ちになるのか。
自分の内側で、自分にばかり問いかけた。
答えが聞けるはずも無いのに、今までの自分の言動を繰り返しながら。
間違っていないと肯定しても、その2秒後には、いいや間違っていたという否定の連鎖に、1マス目から振り出しに戻される無限のすごろくをやらされている気がした。
蝉の声が遠くなったと気づいたのち、鈍い和太鼓のような低い音が短く2つ響く。
ガラガラ、と大粒の涙が屋根を打ち付ける。
窓ガラスと私の頬は、一瞬で水滴に覆われていた。
悔しいのか、悲しいのか、理由もわからないまま。

「いつまでスネてんだ」
ノックもせずに部屋に入ってくるのは父譲りなのだろう。返事をするか迷ったが、やっぱりやめた。でも、気になることがあった。
「・・いま、何時?」
「9時半だ、そろそろ風呂入れ」
「・・やだ」
「晩飯はどうすんだ?母さん困ってるぞ」
「あとで・・」
なんか明らかに私が家族の輪を乱している悪者になっていた。そしてここでまた父に苦言を言われるだろうと諦めていた時、ちょっと意外な話が始まった。
「この前、カスタードあんぱんを子供に譲ったのは、遥香か?」
「え?なんで知ってるの?」
思わず体を起こして父と正面を向いてしまった。
「2か月前に異動してきた鬼頭君っていう部下がいてな。その奥さんと子供の話に出てきた女子の特徴を聞いた時、ウチの子かもしれんと思ってな」
たしかにあの日、赤ブチ眼鏡と緑のスニーカーといういつもの休日モードだたが、気の抜けた奇抜なコーデだったかもしれない。
「他人にそんな優しい事ができるのなら、もっと自分にも優しくなったらどうだ」
父の言葉はいつもわかりにくい。カッコつけているというか、遠回してで考えさせてくる。寝起きのせいか理解が追い付かないので無視して振り出しに戻す。
「言っておくけど、スネているわけじゃないよ」
「はは、そうか。なら安心した」
父はいつもの笑顔になっていた。緊張感は何も感じない。
「その鬼頭君の奥さんから、メッセージを預かっててな」
おもむろにスマホを取り出すと、LINEのメッセージを見ながら話し出す。ただ、全く覚えれないので催促した。
「あとで私に転送しておいてよ」
「はいはい。はよ起きて母さんに晩御飯のことを頼んできな」
そういうと私の顔も見ずに父は私の部屋を後にした。何をしにきたのかわからなかったけど、虚勢を張っていた私の影を退治してくれたことに父親らしさを感じた。

5.ティータイム

日曜日の午後3時、素敵なティータイムが私を待っていた。目の前には華やかなカップに注がれたレモンティーと、どこからフォークを入れればいいか分からないモンブランがあった。
「オシャレなカフェでしょ」
「そうですね、こんなお店があるなんて」
得意げな表情で語りかけてくれるのは、先日カスタードあんぱんを譲った親子のお母さん。理恵さんというらしい。隣にはゆっくんと呼ばれる男の子が、大人しくケーキの上のイチゴを食べている。
「あの、本当に大したことをしてないので・・・」
本当に謙遜していたのだが、理恵さんは包容力のある笑顔でスッキリと返答する。
「いいのいいの、主人もお父さまにお世話になってるなんて、ちょっと運命を感じちゃってね」
父が我が家のことを会社でも話していたらしい。あのクソおやじ勝手にしゃべりやがって、という気持ちが顔に出そうになったのですぐさま仮面を付け替える。
「父は家ではぐぅたらで、よく母に怒られてるんですよ。この前も出張帰りなのに洗濯物を出さなかったので」
「ふふふ、アタシの家も同じようなもんよ」
本当に笑顔に吸い込まれてしまいそう。この人ならなんでも話せると思わせるオーラが不思議だった。おいしそうなモンブランに我慢できず、フォークを入刀する。
「受験生だって聞いてたから誘うの迷ったんだけどね。でも息抜きにはちょうどいいでしょ」
モンブランをモグモグしながら答える
「はい、ちょうど悩んでいたのでいい気分転換です」
「あら、どんなこと?」
「え、いや、その、結構めんどくさい話なので・・」
「いいからいいから!言ったらスッキリするかもよ」
ほぼ初対面の人に対してこんな事になるとは思わず、それでも状況をろくに整理もせず淡々と語った。
・成績で受験校を決めようとしてくる先生たち
・名門大学に進学することを期待してる母
・そしてどこか納得のいかない私の気持ち
話している最中に、三者の思惑がバラバラなことに気づいた。
「なるほどぉ、なるほどぉ・・」
占い師のような理恵さんの次なる言葉が急に気になる。
「で、遥香ちゃんはどうしたいの?」
「え?」
あれがいい、これがいい、こうしたほうがいい、という言葉はたくさん聞いたけど、どうしたいのか、なんて聞かれたことがなかった。
「どうしたいか、という答えを持ってないのね」
今度は名探偵のような眼力で私を見透かしてきた。
「大丈夫、遥香ちゃんを責めてるわけじゃないのよ、みんな一緒だから。どうしたいかを探すための一歩を踏み出せる機会が足りてないだけね」
「なんで理恵さんはそんな詳しいんですか?まるで先生のような・・」
「アタシ、キャリアコンサルタントの資格持ってるのよ」
すっかり冷めきったレモンティーから、ほんわかとした湯気がたった気がした。

6.どうしたいか、の答え

理恵さんは女性起業家でもあり、子育てしながら働くという今もっとも注目度の高い世界(社会)で、4人のスタッフとともにコンサル会社を運営していた。
そこで学校の許可を得て、夏休みを利用した3日間のインターンシップという経験をさせてもらうことになった。
3日間で何を覚えたかと言われるとバタバタすぎて何も思い浮かばない。
でも、仕事をするという事はお客さんに対して自分ができることを精一杯やることだと体感した。それは一見するとお客様や他人のためなんだけど、それは違うと私は自信を持って言える。
自分の可能性を信じてできることをやるっていう意志は、自分に対するものだから、と。

「休み時間がないし、電話はいっぱいかかってくるし~」
私はついついボヤキが出てしまうけど、すっかり理恵さんの会社に溶け込んだ証だった。
「でも、お昼ご飯は自分の好きなものが食べられるからいいでしょ?」
理恵さんがすぐさまポジティブマインドで返ししてくる。
「たしかにっ!」
いつもの理恵さんの笑顔はすっかり私にも伝染していた。
「それよりさ、学校に提出するレポートはまとまったかな?」
「はい、自信ないですけど」
「どれどれ・・」
理恵社長自らのチェックにちょっと緊張する。誤字脱字がないか、文章がおかしくないか、という点が気になったけどそれよりも大事なことを教えてくれた。
「いいじゃない!なんかすごいカッコいい事書いてもらって、逆に恥ずかしー」
ちょっとオーバーリアクションな気がしたけど、近くにいたスタッフさんもどれどれと覗き込んでくる。嬉し恥ずかし。
「特に、ここに書いてある一文が一番素敵だね!」

そしてその1時間後、私の3日間という短い冒険は幕を閉じた。感謝の気持ちを5人の前でちょっとしゃべりだしただけで、不意にうれしい気持ちが涙に変わってしまった。そんなつもりじゃないのに、感動の波を作り出してしまった。皆から大女優と崇められた。案外、好きかも。

このインターンシップで、自分の特技はテストで点を取ることではなかった事に気づいた。
私は、誰かのために行動することで充実感を感じることが出来る。
そんな特技というか性格に。

でもこれはスタートに過ぎない。
「だから、どうしたいのか」はこれから探そうと思っている。
私には、まだ時間があるから。

7.明日へ

「26日火曜日、10時半、webミーティングでお願いします」
手短に電話を終わらせ、スマホに予定を入力しておく。ふと、母からメッセージが届いていることに気づいた。
「お兄ちゃん一家が今度の連休に帰ってくるそうよ。はーちゃんはいつ帰ってくるの?」
今は返せそうにないので保留しておく、けど忘れそう。散らかった机から手帳を探し出す。
「帰省の返事、カスタードあんぱんたのんどく」
少し雑に書く。殴り書きは他にもたくさんで忙しさばかりが主張している、女子力を全く感じない手帳に。

言われたことに従うのは必要なのだけど、それ「だけ」では明日は絶対にやってこない。あのインターンシップのまとめレポートの結論である。
どうしたいかは今もわからないけど、もしかしたら明日見つかるかもしれない。そう思って、働いている。

「ハワイ支店の人に実家用のお土産も頼んでおこうかな」
そうつぶやきながら、長い廊下を会議室に向かって歩く。
お客様と担当役員と私の、三者面談が始まるから。

#一歩踏みだした先に

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