見出し画像

ただ「続けてきた」ことが、大きな成果に繋がった話。

ただ「続けてきた」だけで大きな成果が得られるとしたらー。

「成果」は人によって異なると思うけど、意図的な努力や苦労をせずにただ続けるだけで望んだ結果を得られるのであれば・・・誰しも羨むことではないでしょうか。

さて、今回は私自身が「続けてきた」ことだけで大きな成果に繋がった体験談を記します。
上述したように、「成果」は人によって異なります。初めに申し上げておくと、多くの人が興味を持つであろう莫大な利益(お金)を得た話・・・ではありません。

一体どんな「成果」なのか?
そして「続けてきた」だけとはどういうことなのか?

一つのモデルケースとして記事にします。


1.12年続けたこと


公益社団法人発明協会の事業の一つに、「少年少女発明クラブ」という組織があります。
そんな「少年少女発明クラブ」の指導員を、12年間続けていました。
少し紹介します。

全国の市町村、約200箇所にあり約10000人以上の子どもたちが所属しています。指導員は約2800人以上いますが、市の職員や民間企業の従業員など、非専従者がいることも特徴的です。

1974年の誕生した事業ですが、そのきっかけを作った人物は、当時の発明協会会長でソニー創業者の故・井深 大氏です。

少年少女発明クラブの紹介ページより引用
http://kids.jiii.or.jp/modules/pico/index.php?content_id=300#kensaku

同氏は、

次代を担う青少年に、「ものづくり」に親しむ環境を整えることが重要であり、日本が将来にわたり科学技術創造立国として持続的な発展を実現するには、ものづくりに携わる人材の育成が不可欠である

と提唱されました。

始めたときはこんな由緒ある活動とは思ってませんでした。
この指導員となった経緯は別の記事で書くつもりです。

2.なぜ続けていたのか?


さて、12年間続けた理由をまとめてみます。

1)自分も好きだから

子どもに工作を教える。
これが指導員の役割です。シンプルです。

指導員ですから「教える」ことが得意じゃないとできない?と思われがちですが、実は教えるスキルなど関係ありません。
それよりも「工作」が好きかどうかが重要です。

指導員仲間を増やすため、会社内で30人以上のメンバーを募りました。
辞めてしまう人が大半で入れ替わりが激しいものでしたが、続かなかった人たちに共通していたのが「工作への興味の有無」でした。
子どもが好き、社会貢献のためなら、と豪語していた人物ですら続かない・・・というシーンを目の当たりにもしました。

逆に無愛想で、教えることが下手でも、「工作が好き」だと続きます。そして続けていくとだんだんと教えることが上達していきます。

言わずもがな、私自身は工作が大好きです。
教えるという役割を全うすることよりも、まずはその工作という「本質への興味の有無」が続けられる要因の一つといえます。

2)自分も教わりたかった

次に、「自己投影」も続けられる要因の一つです。

そもそも自分自身がこんな工作を教わりたかったー。

そんな思いがあるからこそ、受ける側の子どもの気持ちになって続けられたのかと思います。
(実際に子どもたちが「喜び」を感じて受講しているかどうかは別として)

親が果たせなかった夢を自分の子どもに託す、という話は耳にします。もちろんその行為にも良し悪しがありますけど、「続ける」という動機には十分な要因になります。

3)自分のためになった

最後は、自分のためになるから。

昨今の不安定な世の中だからこそ、

  • スキルや資格を得たい

  • 名声を得たい

  • なんなら金銭も得たい

そう思い目が血走っているような人も見かけます。
そういう人たちからすると、「教える=先生役」という役割には得る物がないと思われがちです。

しかし、「教える」ことを通じて、

  1. 物事の伝え方と言葉の選び方

  2. 要点をまとめる話し方

  3. リーダーシップ

といったスキルが身につきます。
(これまた詳細は別記事にしようと思ってます)

これらは淡々とした会社生活では簡単に身につくものではありませんし、むしろお金を払って得るようなスキルかもしれません。

こういうフィードバックがあるからこそ、12年間も続けて来られたのだと思います。

3.「成果」の正体


それでは、「私が得られた大きな成果」という結論を説明します。

前項でも述べたスキルもその一つですが、成果というより副産物です。
それよりも、

1)信頼
2)人脈
3)自信

これら3つを手にすることができました。
具体的な事例で説明します。

1)信頼

私の場合、発明クラブ事務局や子どもの保護者(父兄)の方からの信頼を得ることなりました。
中々形として目に見える訳では無いので証明が難しいのですが・・

「黒田さんなら~」

というように、任せられるという前提で色々な相談を受けたり、保護者の方からお願いされることが多かったです。
この前提の有無が信頼だと私は思っています。
また、信頼は信頼を呼びます。発明クラブ事務局さん達からの信頼が、保護者の方たちへの信頼にも繋がり、指導員メンバーや会社の役員にも伝え広がりました。

信頼は簡単に得ることはできません。
やはり「続ける」ことで積み上げられるものですが、頻繁な失敗や不誠実さがあってはだめです。
常に一定の期待に答えながら続けることは険しいハードルです。
前項で述べた3つの理由があってこそでした。

2)人脈

人脈というと「色々な人との広がり」をイメージされると思いますが、ここでは「仕事上の便益」という意味です。

会社内で30人以上のメンバーを募集しましたが、結果的には27人のメンバーを率いていました。
他部署の各個人との接点が増えたのはもちろんのこと、「27人をまとめているリーダー像」のほうが印象的だったようで、そのイメージが会社内で定着しました。当時28歳でした。

私の会社内で27人をまとめるポジションというのは、部長又は大きな部署の室長に匹敵する管理スパンです。
このイメージのおかげで、「リーダー」や「事務局」という役割を任せられることが多くなりました。
(この「事務局」についても別記事を予定しています)

先で述べた信頼とともに、評判が、評判を呼ぶー。

まるでSNS上でのバズりのような現象が、会社内で発生しました。

そして「事務局」の役割を多数こなしたという実績が評価され、数ヶ月前に部署異動を命じられたきっかけにもなりました。

自分が積み上げてきた実績と、他者からの評価が一致した状況で仕事ができるということはとても過ごしやすいものです。

3)自信

最後は単なる結果論です。
信頼と人脈を得られれば、必然的に自信にもつながります。

自信に溢れている人というイメージは、鼻高々に主張するシーンが浮かびますが、実際には謙虚で控えめな人が多いです。
自信のある人ほど、余裕があるので己を誇示することは必要ないからでしょう。

私自身もこの経験を得てから、己を誇示することは少なくなりました。
(学生の頃は自己主張の塊のような存在でした)

しかし、ただ指導員を続けてきただけでは自信は身につきません。
実は27人のメンバーを率いるまでに至った「チーフ」という役割による苦労が7年続いたのですが・・・これもまたハイボリュームな経験なので別記事で書きましょう。

4.まとめ


簡潔に書くつもりが約3000文字の記事になってしまいました。
また、別記事も3つほど書く必要があるくらい濃厚な体験談です。

他者から見れば大変な経験や努力をした、と映るかもしれません。

しかし、私自身は「ただ続けてきた」という感覚です。

だから、私が辿ってきた経験を真似するのではなく、そういった「ただ続けられる」事をあなた自身で見つけて欲しいなと思います。
なかなか簡単ではないと思いますが・・・続けるだけで大きな成果につながると思いますから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?