アセクシャルの孤独

夜中だから何の得にもならないことをぐだぐだと考え込んでしまう。

今夜は急に自分が「孤独であること」について考え出した。アセクシャル故の、満たされない孤独。

私にとっての恋愛感情は、あってもなくてもいいどうでもいい存在だが、メンタルがやられている時にはどうしようもなくそれに縋りたくなる。恋愛を原動力にして生活している人間を私は知っているし、恋愛で人生が滅茶苦茶になった人間も知っている。それくらい大きな存在なのだという知識だけがある。

私だってヘテロに生まれていたら、好きな人を想って眠れなくなったりしたのかもしれないし、失恋の痛みに泣くことだってあったのかもしれない。でも現状の私にあるのはどうしようもない孤独感のみ。

ただでさえ「付き合う」という行為は互いの意識の擦り合わせに苦労するというのに、アセクシャルの私と気が合って、さらに理解がある人となるとひと握りどころかひとつまみもいないだろう。そんな運命の人を世界中から探し出す気力が私にはないし、上手くいく可能性を見い出せないのでそもそもやろうとさえ思えない。

ただ、孤独には耐え難い。一人は好きだけど、一人で死にたくない。辛い時に縋れる存在が欲しいし、嬉しいことを共有できる存在が欲しい。私だって人を愛したいし愛されたい。

パートナーって何だろうと思う。私が求めているのはパートナーではなくて、自分にとって都合のいい人間じゃないのか。

どうしようもなく低い自己肯定感に苦しめられている。私と関わってもメリットなんか無いし、私には何も返せるものが無い。パートナーが出来たとして、それはもうただの搾取なのでは?愛情の搾取。彼氏といた時の記憶が蘇ってくる。私に向けられる好意に対する疑念と恐怖。何も返せない罪悪感。

何のために生まれてきたんだろう。人を愛せず子孫も残せず、特に才能もない、世界に何も残せない私の生きる意味って何だろう。考えても答えの出ない、どうしようもない問いをひたすら投げかけ続ける日々。

私が悩んでいるのはアセクシャルだけが原因ではないけれど、原因の一端にはアセクシャルがある。せめてこの荷物がもう少し軽ければ、多少は生きやすい人生だったのかなと思う。


推しが死んだ。というか死ぬことが既に約束されていた。推しが死ぬのは久々だったので精神的にかなりキた。私はその推しが幸せに生きる未来を思い描いていたし、確実にそうはならないけど思うのは自由だと思っていた。

けれど私は原作主義だ。原作に矛盾する展開は作りたくない。そうなると、彼が死ぬのは決められた運命だ。その推しとくっつける相手の間で約束された死別。私がねじ曲げる余地を与えられた空白は少ない。

彼は死ぬ時にどう思うだろう。愛する人のことを想うのだろうか。最期に、あの人に愛されて良かったと思えるだろうか。遺された相手は、彼のことを愛して良かったと思えるだろうか。

私はとにかく感情移入をするタイプだから、彼の気持ちになって考えるということをする。相手の気持ちになって考えるということをする。私は人を愛せないのに。

一人で死ぬのは怖い。そこに行き着いた。怖いけれど、でも、愛した人は生きている。ならそれでいいじゃないか、と。

じゃあ私は?

誰も愛せない私は、死ぬ時は一人なのだろうか。

そういう仮想の未来に怯えて生きていくのだ、私は。


あるこ

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