言語学ちゃん

「10mくらい思ってる」とは言えない

 去年の9月、twitterでこんなツイートを見た。

 ダ・ヴィンチ・恐山氏のサブアカウント(@d_d_osorezan)によるツイート。

 確かに~!と思ったと同時に、認知言語学(そういう言語学の一分野)がだ~い好きな私は考察をしまくった。ただその内容を紹介する前に、ひとつ説明しておきたいことがある。それは、「概念メタファー」という考え方である。メタファーというと国語の授業で習う「暗喩」を思い浮かべるが、あれとはまた違う。

・概念メタファーとは?
 概念メタファーはレイコフとジョンソンという2人の言語学者によって提唱された考え方である("Metaphors We Live by", 『レトリックと人生』)。彼らが掲げる概念メタファーには、例えば「時間はお金である(TIME IS MONEY)」というものがある。人間は「時間」という抽象的概念を「お金」という物質的・具体的なモノ(=目に見えるもの)を元にして捉えている、という説だ。これを示す言い回しとしては、「お金をかける/時間をかける」とか、「お金を稼ぐ/時間を稼ぐ」などが挙げられる。
 こういった、「抽象的概念を具体的なモノを通して解釈する」ことをメタファー拡張と呼ぶ。つまり、概念メタファーを使ってメタファー拡張がされた結果生まれた表現が「時間をかける」のような言い方、ということになる。レイコフ・ジョンソンが"Metaphors We Live by"の中で挙げている概念メタファーは、この他に「議論は戦争である(ARGUMENT IS WAR)」(議論にも戦争にも勝ち負け、敵味方があることなどから。議論が抽象、戦争が具体)、「より多きは上、より少なきは下(MORE IS UP, LESS IS DOWN)」("値段が上がる"などの表現に見られる)などがあり、言語表現の中で広く観察できる現象といえる。

・「10mくらい思ってる」とは言えない
 さて、概念メタファー・メタファー拡張について説明したところで冒頭の話に戻りたい。
 「10mくらい思ってる」とはなぜ言えないのか?恐山氏のツイートを見て私は以下のように考察した。

・頭に何の抽象的概念を浮かべるかによって、元となる空間的な直線の向きは縦と横に分かれる。
・例えば、時間は横。「時間軸」と聞いて思い浮かべるのは恐らく横の直線が多いのではないか。
・逆に、「同意」や「嫌悪」など感情・思考に関しては縦の直線をイメージする。
・掲題の「10m」と聞いて人間が思い浮かべるのは(特定の文脈のない限り)「深さ(縦)」ではなく「長さ(横)」である。よって「同意」は縦向きの直線のイメージを抽象領域にメタファー拡張したものであり、「10m」という横向きのイメージと噛み合わない。(ただし、「1mm」は単なる最小単位として認識されており長さとしての意識は少ない。)
・要するに、抽象的概念のうち、感情・思考に分類されるものの中には物理的空間的な縦の線のイメージからメタファー拡張が行われているものがあり、それが言語にも表れている。「深く同意する」などがその例。
・さらに、「横」はフラットなイメージ(「横のつながり」とか。差がない感じ)で、「程度」や「度合」のようなものがない。なのでそういった「程度」を持たない時間の概念などを表すのに向いている。
・逆に「縦」においては「上下関係」という言葉に表れているように、「程度」や「度合」がある(この場合は「けっこう偉い/ぜんぜん偉くない」など)。なので「程度」の大小がある同意や嫌悪などの感情・思考を表すのに向いている。
・ついでに、「同意」という概念全体の長さは決められていない(イメージできない)ので「10mそう思う」と言われたところでどの程度同意してるのかよく分からないというのもあるのではないか。

 と、このように考えた。概ね間違ってはいないと思う。

 では、感情・思考が縦の直線からメタファー拡張されて認知されているということを他の人は言っているか? 言ってる。レイコフとジョンソンがすでに「心は容器である(MIND IS A CONTAINER)」という概念メタファーの種類を挙げていた。うれしい。気が合う。
 要するに、心は容器であることによって「満たされ」たり、「深さ」を持っていたりするということだ。先ほどの言い方でいえば、「程度」の大小がある。
 また、容器には底がある。ゆえに「1ミリも思わない」のような完全に否定している表現(同意の「底」)をつくることができる。
 さらに、心は容器としての大きさが人々の間で共有されていない。それゆえ、「10m思う」なんて言い方は、容器のどれくらいの「深さ」に位置しているのか分からない、また「10m」が縦方向ではなく横方向でイメージされがちなので適切な表現とされないのである。


・実際どうなの?
 
 さて、私は「人は10mを横向きだと考える」と主張しているが、実際はどうなのだろうか。こんなに言っといて縦向き派が多数だったら恥ずかしいのでTwitterでアンケートを取ってみた。(拡散・投票で協力してくださった皆さん、ありがとうございました。)

 結果はこんな感じ。よかった、横の方が多い…。が、思っていたより縦も多い。その他もいる。質問箱で意見を募ってみた。
 
・10mは「縦」派の人の意見

「10メートルの巨人とか怪獣とか、よくわからない大きい(街を襲ったりしそうな)ものが思い浮かびます」
「縦、深い池のようなイメージ」
「タワーとか水深のイメージかなあ」

 なるほど。興味深いのは、上方向(巨人、タワー)と下方向(池、水深)どちらもあり、また両方を同時に思い浮かべるケースもあるということだ。
 
・その他

「奥に10メートルを想像しました。道のようなイメージ。」 

 立体的! 実は、アンケートの選択肢を「縦」「横」「その他」にして「奥行き」を作らなかったのはわざと。縦横で軽く縛っても奥行きの答えが来たら面白いかな~と思って。来ました。ありがとうございます。確かに、自分たちが普段生活する中で一番身近な「10メートル」といえば「道」な気もする。

 
 ついでに、こういうのも聞いてみた。

 10メートルから100キロメートルに爆増やししてみた。長さの規模が違うとイメージも異なるのか?という検証。(アンケートツイートだけ埋め込みたいのにツリーもついてきちゃった…)
 後出しだったのと投票期間の設定のミスで投票数は少なくなってしまったが、割合的には横方向が増えた。質問箱には以下のような意見が寄せられた。

 ・100キロメートルは「横」派

「運転のイメージです。距離って感じ」

 北海道とかの「ガソリンスタンドまで 160km」みたいな看板を思い出しますね。私個人もこれ派。他の横派の皆さんも同じようなイメージなのかな。

 ・100キロメートルは「横じゃない」派

「宇宙の、なんらかの星までの距離」(※10メートルを「深い池のイメージ」と言った人と同じ人)

 規模がでかい。10メートルと100キロメートルの差がそうさせてるのだろうか?

「直線で遥か先に続いていく道をおもいうかべました」
「立っている足元から奥へ道のようなものが伸びているイメージ」

 奥行き派。横派の人とイメージは似ているかも。

「メジャーがぐるぐるに巻かれてバウムクーヘンみたいになっているものが思い浮かびました」
「うねった道か円をずっと回るやつのイメージです」

 これ!100キロについてのみ寄せられた「ぐるぐる巻き」イメージ。全然想像していない答えだったので普通に驚いた。長いものをコンパクトにしようとしている…?

 とまあ、色んな考え方があることがわかった。その多様な色をなすアンケート結果を均して言うと、「何の文脈もなしに「長さ」を示された時に人々がイメージするのは主に"横方向"である。ただし縦や奥行き等でイメージする場合もままある。また、長さの度合が大きくなると短いものにはなかったイメージをする人もいる」ということになるだろうか。


・結論
 少し逸れてしまった気もするが、タイトルの「『10mくらい思ってる』とは言えない」理由をまとめてみよう。

・10mは横向き
・概念メタファー「心は容器」に当てはめると、同意を含む思考・感情は縦向きの直線からメタファー拡張している
・よって、「10mくらい思ってる」という表現は縦横が噛み合わず、不自然に聞こえる。

 結論としてはこんな感じになるだろう。また、アンケート結果から、「10mくらい思ってる」を「100kmくらい思ってる」に換えたらなんとなく印象も変わりそうだな、という予想も立てられると思う。


 以上。
 あくまで趣味の自由研究なので、多少の間違いなどあっても悪しからず…。でも少しでも言語学おもしろいな~と思ってもらえればそんな嬉しいことはないです。
 また、アンケートにご協力くださった皆様、重ね重ね本当にありがとうございました。助かりました。



・色んな言い訳とか(飛ばしても大丈夫です)
 ①私は「時間は横向きの直線」と述べたが、もちろん上下や前後関係を用いてメタファー拡張されているケースがあるのも知っている。ただあくまで「感情・思考が縦である」ということと対比させたくて例示しただけでした。
 ②認知言語学やメタファーについてバリバリ専門的に長期間勉強した経験はないので、いわば「にわか」の考えです。
 ③ちゃんと勉強して、この記事を客観的に見て「超バカじゃん笑」と思えるようになったらまた書き直したいな。今の私にはこれが精いっぱいだった…
 ④メタファー拡張における図地反転的な考え方などは今回説明を省きました。ややこしくなるのと、自分自身やっぱりまだ理解しきれていない部分があるので。
 ⑤今後自分で見直して「全然違うわ」と思ったり恥ずかしくなったりした箇所は何も言わず削除・編集をします。俺の記事だ。論文でもないし自由にするぜ。

・参考文献

G・レイコフ、M・ジョンソン (1986)『レトリックと人生』(渡部昇一他訳)大修館書店.
松井真人 (2016) 「日本文化における『心』の概念メタファー」『山形県立米沢女子短期大学紀要』第52号、p.11-20.



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