幸か不幸か
大陸の端に位置する小さな王国で、ある法案が秘密裏に可決された。「不幸な者に死刑を処す」というものだ。
その国には、かつて経済不況や飢饉に見舞われた時代があった。遠い昔のことではあったが、その経験や伝え話によって国内は重い空気に包まれていた。もちろん明るく幸福に暮らしている者もいた。とはいえ、年数を重ねて厚みを増した雲が国を覆っていることは否めなかった。
そこで政府のお偉方は「不幸な者を消すことで幸福度を上げよう」と考えた。「不幸であること」を「法律に違反する」とし、幸せな人間だけ残すという計画だ。執行人は政府側の人間。彼らはこれからの国を担っていく存在として特別に新法が適用されないことになった。
やがて国民に対し調査が行われた。
・生活の上で困った事はあるか
・家庭はうまくいっているか
・仕事や学校での不満はあるか
といった、裏に隠れている思惑を見せない、非常にプレーンな設問が10個。回答内容によって点数が付けられ、点の低い者が「不幸」とみなされ処刑されるという運びになっていた。
国民全員から回答が集まり、次々と刑が執行されていった。最後の甘やかしとして受刑者には殺し方の選択肢が与えられた。絞首、斬首、磔刑、銃殺など。執行人である政府の人間たちはあらゆる手段で1日に何人も何人も殺した。たくさんの血を見て眠った。他人の断末魔の夢を見た。呪いを解くように目を覚ました。
そんな執行人たちは徐々に疲弊していった。人殺しの経験などない彼らにとっては、さもありなんである。人並み以上に平和に生きてきた彼らは、精神的にかなり堪えたという。
政府は対策を考えた。執行人がどんどん崩れていく。このままでは法を立てた意味がない。そんな中、国内で連続殺人が起きているとの知らせが入った。犯人はすぐに判明した。証拠をまったく消していなかったからだ。
犯人は若い男だった。今度の新法において処刑の対象となる人間ではなかったが、当然ながら元来の法に違反するため牢獄に放り入れられた。
取り調べを進めるうちに、男が殺しを楽しんでいることが分かった。その時点までに殺した人数は30人をゆうに超えると本人談。誰かを殺すたびに幸福度が増していたという。なるほど、それじゃあ新法に触れる人間ではない、と政府の人間は納得した。
さらに彼らはこの男を捕まえたことを好機と捉えた。男を執行人にすればいいのである。そうすれば現執行人たちの精神的疲労も癒せるだろうと。そして用済みになった暁には男を処刑する。そう計画した。
男に「合法的にたくさんの人間を殺せる」と提案すると、目を輝かせて受け入れた。その日から、男は執行人としての役目を担った。
男は不幸とみなされた者を続々と殺していった。なんのためらいもない様子で。それどころか、1人殺すたびに満面の笑みを浮かべ、時には声を出して「アハハ」と笑っていた。監視を任された人間はそのおぞましい笑顔を見るたび得も言われぬ恐怖に包まれた。男の表情は、「幸せ」そのものだった。
男は遂に最後の1人に手をかけた。それまでと変わらず、にこやかに、無邪気に。
政府の人間たちはそれを見守った。そして男が役目を終えると同時に男を殺人罪の刑に処そうと、全員武器を備えていた。
最後の「不幸な人間」が左胸を撃ち抜かれて息絶えた。それを確認し、政府の人間たちはゆっくりと男に近付いた。すると男は持っていた銃で、1人に向けパン、と1発放った。銃弾は眉間から後頭部を貫き、彼はその場で倒れた。
男も同じ考えだったのである。最後の処刑対象を殺したら、次は自分の命を狙っているであろう政府の人間を殺してしまおうと。
長いあいだ通り魔的に人を殺してきた男と、拘束され動けない相手を殺し始めて間もない役人。どちらの腕が上か、言うまでもない。
男はその場にいた人間を見事に全員撃ち抜いた。男を殺そうとしていた人間はいなくなった。作業着を真っ赤に染めた男は「ああ、幸せだ」とひとりごちた。
抑える者がいなくなった男は町に出て、ふたたび一般庶民を襲った。小さな国で、男が幸せに満ち満ちるのにそう時間はかからなかった。人々が残したところによれば、誰かの命を奪うたびまるで恋人ができたかのような、純粋で浮かれた笑顔を浮かべていたという。
やがて男は政府側へと再び目を向けた。処刑場で殺した人間たちはあくまで下層部にすぎない。残るはお偉方たちだ。
誰も遮る者のいない道をスキップでもしそうな様子で歩く。男はこれから「大物を釣り上げる」ことに胸を躍らせていた。
そして役人を殺していった。身分の低いものから順番に。頭だけが良い奴らなど、百戦錬磨の男にとっては屁でもなかった。それでも、平等に散る赤い血は彼を湧き立てた。すっかり色のこびりついたナイフを光らせ笑い声をあげ、「幸せだあ、幸せだあ」と何回も口に出した。
対象の身分はどんどん上がり、男はついに王室にたどり着いた。門番や守衛も簡単に仕留めた。次に手をかけた王女や女王の抵抗は、男にとってはとても「抵抗」と呼べるものではなかった。
残るは玉座でひとり震えている王。「王様、生で見るの初めてだあ」「はじめましてえ」と言う男の声は、果たして届いていたのだろうか。
「や、やめてくれ」
「おれを止めるやつはもういないんだ。あんたを守るやつもね」
王は首を振りながら「やめろ、やめろ」「誰か」と叫んだ。だが、聞こえる耳を持つ者は誰もいない。王の嘆きは虚空へと溶け、広い広い部屋に吸い込まれていった。
男はとびっきりの笑顔を浮かべながら、使い古したナイフを王の左胸に突き立てた。この国でもっとも偉いとされていた人間を、他の人間と同じように殺した。
王は玉座から転げ落ちた。男はうつ伏せになった王を足で蹴って転がし、胸からナイフを抜いた。
最後のひとりを殺した男は、絶望の顔で呟いた。
「不幸だ」
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