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『二人の記憶』第30回 赤い猫砂

 土曜日の朝、玄関脇の物入の前でアコが呼んでいたので行ってみると、猫のトイレの前に屈み込んでいた。
「ねぇねぇ、これ見てみて」とトイレの中の猫砂を指差している。
「うーん、オシッコだね」
「そうなんだけど」と言いながらアコは猫砂用のスコップでオシッコらしき塊を掬うと昇太郎の方へ差し出した。
「ほら」
「ほらって、近すぎるって」そう言いながら昇太郎は目の前に差し出されたスコップから顔を遠ざけた。猫自体は匂いが無い動物なので家中で飼っても部屋が臭くなることは無いが、排泄物は流石に臭う。特にオシッコは独特の臭いで結構強烈だ。
「見て何か気づかない?」
「別に、特段は」
「ちょっと赤っぽいと思わない?」
 使っている猫砂は乾いていると白色で、オシッコで湿ると灰色っぽくなるのが普通だが、目の前に差し出された塊は言われてみれば赤っぽいと言うか少し茶色っぽく見えた。
「確かに」
「ラグちゃん、大丈夫かな」
「行ってみる? 病院。でもあいつ病院嫌いだからなぁ」と話していると、後ろから当の本人がいつの間にか擦り寄ってきていて、昇太郎の足元で『何か楽しいこと話してるの?』と言うようなクリクリの青い目で見上げていた。
「ラグ、今日病院行くか?」と昇太郎が話し掛けると、ラグは目を大きくして首を傾けた。

 午後、猫バッグにラグを入れて車で動物病院に行った。予め電話して聞いたらオシッコを持ってきてと言われたので、さっきの猫砂をビニール袋に入れて持っていった。
 待合室では割合大人しかったラグだが、診察室でバッグから出すと人が変わったように猛獣化して、歯を見せてシャーシャーと吠え続ける。
 先生が、あとはこちらで何とかするので待合室でお待ち下さいと言うのでお言葉に甘えたが、診察中の診察室は阿鼻叫喚の様子が漏れ聞こえてきていた。
 診察が終わったあと、先生の話も上の空で先生の手を見ると、そこには複数の生傷が残っていた。慣れているので大丈夫ですよと言いつつも、次回はネットに入れて連れてきてと引き攣った笑顔で言われてしまった。

 排尿経路の何処かが結石などで傷ついて出血したのでしょうとのことで、出血が酷くなったり長く続くような場合はまた連れてきて下さいと言うことだった。
 猫は腎臓や排尿周りの病気になりやすいので食事を変えてみましょうということになり、勧められたのは下部尿路疾患対策用の食事療法食。人間だと尿路結石は七転八倒する痛みと聞くが猫は大丈夫なのだろうか。こちらが兆候に気付いていないだけかもしれないし、痛みに強いのかもしれない。どちらにせよ大したことはなさそうで安心した。
 ラグのこれからの主食となる食事療法食は貰ったサンプルと同じものを早速ネットで注文した。

 家に帰っても暫くは気が立っている様子だったが、30分程するとソファで本を読んでいたアコの膝に飛び乗って来た。ラグはアコの持っている本の角に髭のあたりを擦り付ける様にしながらも、目はアコの表情を追っていた。
「ラグちゃん、水をよく飲んでくださいって先生が言ってたよ」と話しかけながらアコはラグの頭を撫でた。
「いつものラグに戻って良かったなぁ。病院ではちょー怖かったぞ」と昇太郎が横から手を伸ばそうとしたらラグが振り返って睨みつけてきたので、昇太郎は伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
「大丈夫よラグちゃん、しょーたろーじゃない。そんなに怒らないの」となだめるアコの声は耳に入らないようで相変わらず昇太郎を恐い目で追いかけているので、昇太郎は
「何かこっわー、誰が病院連れて行ってやったと思ってるんだよ?」と言いながらゆっくり後ずさりしながらキッチンの方へ逃げた。
 大嫌いな病院に連れて行かれたんだから感謝されるはずもないか。

つづく

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