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人生が面白くなる確率の話

 年末になると確率の問題に直面する人が多いのではないだろうか。
 つまり、競馬や宝くじのことだ。

 今年一年の収支を集計した結果、その解釈や自己釈明に忙しくなる。要は馬の問題ではなく馬券の買い方の問題で、当たる確率が高くなる方法を編み出したぞという結論に達して、来年こそはという思いを胸に新たな年を迎える人。

 何枚買えば効率的で費用対効果が高いのか。過去に高額当選が出た売り場で買うべきか、それともこれまで高額当選が出ていない売り場ほど当たる確率が高まっているのではないか。結果、あちこちの売り場で買って、抽選を心待ちにしている人。

 ギャンブルはまさしく確率そのものだが、天気予報から広告効果まで、私達の生活は確率によって決断を左右される機会が増えている。

 例えば、ネット上に表示されるあなたへのオススメ商品も、その表示をすることであなたのようなユーザーのうち数パーセントの人が購買に繋がるというデータをもとに工夫されている。言いかえれば、あなたがそのオススメを見て買う確率が測られているということだ。
 しかしそれはあなたが買わない確率の裏返しに過ぎないし、統計的なあなたならいざ知らず、あなた個人が購入するかどうかとは本質的に関係ない。確率とはそういうものだ。

 寒くなるせいか、年末に掛けて訃報を聞くことが多くなる。ちゃんと検診を受けていればこんなことにはならなかったのにであるとか、あの治療をしていればもう少し長く生きられたのにというような後悔にも似た感情は付き物だろう。だからと言って、もう一つの側の選択をした場合により良い結果になったかどうかは、誰にもわからない。
 仮に、検診を受けたほうが元気に長生き出来るという統計データがあったとしても(そんなデータはないが)、それがあなた個人に当てはまるかどうかは誰にも分からない。
 統計的には二人に一人が癌にかかりますと言われても、あなたが癌になる確率がどれくらいになるかは分からない。

 科学技術や医療の発達によって、私達は多くの選択肢を手にするようになった。しかしそれらの選択肢の多くは確率として提示されている。
 それらの選択肢は、あなたが検討する際の参考になるかも知れないが、本質的にはあなた個人の問題解決に役立つものではない。

 いま話題のAIは、囲碁や将棋などのようにルールが明確なものに対しては、このルールでの正解確率が高いのはこの手だよねとAIは示してくれる。
 世の中のたいていのことはルールが曖昧なもので、そんな時AIは、人間ならこう考える確率が高そうだねというのを答えとして出力する。それを見た人は高い確率で感心するが、そもそも人間がいつも正解を導ける生き物かというと心もとないではないか。
 
 成功確率の高い選択をしていれば大失敗はしないだろう。でも、確率は過去の結果でしかない。未来を見通すものではない。
 それでもおまえ、そんな人生で面白いか?
 そう聞こえてきた気がした。

おわり

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