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農業を取り戻せ

 都会の片隅にある我が家の隣に、ほぼ農業放棄地がある。敢えてほぼと言ったのは、時々思い出したように何かが植えられているからだ。そうして植えられた作物は次第に雑草にまみれ収穫された気配は無いから、これは想像だが、農業を放棄はしてませんよというアピールのために植えているだけなのだろう。
 
 私が幼少の頃、家の周囲に多くあった畑では一面に作付けされていて、春になれば蝶々が舞いそれを目当ての野鳥が飛来していた。カマキリやコオロギやその他の昆虫も沢山いて、小さな生態系がここにあるのだなと感じさせられた。

 宅地化が進むにつれてそうした畑には家が建ったりアスファルト舗装された駐車場に変わったりしていった。虫は減り、カラス以外の鳥も減った。図らずも、それまでは確かにあった小さな生態系が人類に食い潰されて行く様子を観察する機会になった。
 今ではカラスの住む森も拓かれて、野鳥は殆ど見られなくなった。

 都会では便利な土地が使いつくされ、多少不便でも空いている土地があれば悉く食われていった。そして現在ではそうした土地も少なくなって、昔からあった一軒家が取り壊されて何件かの家に建て変わるか、到底家を建てるような場所でなかったところに建つ様になっている。その過程では、庭先や斜面にあった木々が伐採され、その度にまた小さな生態系が無くなっていく。人の知らないところで鳥や虫たちは棲家を奪われ人だけが住む場所になる。

 自然と共生していたはずの人間は、独自の世界を造ってその中だけで生きていけると思い込んでいるのではないか。しかし自然なくして人間が生きられない。これは変わっていないのだ。植物が無ければ酸素は作られないし、森が無ければ飲み水にも困ることになる。森は鳥や虫などの生き物がいなければ成り立たない。
 そうやって生き物は互いにバランスを取りながら利用し合うことで存続して来た。そこには人も含まれていたのだ。

 都会に住む人のどれだけが自然の大切さを日々実感出来ているだろうか。自然の偉大さや素晴らしさを実感出来ているだろうか。都市という自然を極力排除した街がどれだけ異常なことか理解しているだろうか。

 今日本では、農業が終わろうとしている。
 農家の平均年齢は会社員の定年や年金が貰える歳を超えているという。そして作るほどに赤字になる作物が少なくない。
 こう言うと、農業を法人化してもっと大規模化すればいいと言う人がいる。しかしそれは、レストランでは無駄を省くために弁当を出せばいいと言うくらいの暴論だ。農業は工業と違ってそんなに簡単にはいかない。自然界では単一の植物だけが生えている広大な場所などあり得ないからだ。
 大量生産は簡単には出来ないし、手をかけなければおいしい野菜や果物は育たない。

 農家が廃業していく中でそれ以上に深刻なのは技術が伝承されずに失われることだ。その地その場所での適切な農作の仕方があるが、それを知っている人がいなくなってしまう。
 もはや日本では輸入に頼らずに食材を手に入れることは出来なくなった。さらには輸入するものはどんどんと高くなっている。私たちの食卓に並べられる品は早晩少なくならざるを得ないだろう。

 食うに困ってからでは遅い。
 農業を取り戻す必要がある。
 まずはそのことに気がつくことだ。

おわり
 


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