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集まると怖い

 駅からの道を家に向かって歩いていると急に騒がしくなった。
 少し小高いその場所は閑静な住宅街で日中は静かな場所だ。

 騒がしいのは人混みが出来ているからではなく、電線や屋根にたくさんのからすが集まっているからで、そのうちの何羽かは周囲を飛び交っている。飛んでいる奴も止まっている奴も大きな声で鳴いて、会話をしているのか遠くの仲間に伝えようとしているのか、とにかく恐ろしい。

 奴らが集まっている下を見ると、家庭ごみの集積所となっていて、道路にはゴミ袋から取り出されたゴミが散乱していた。
 日曜日の今日はゴミ収集が行われない日なので、誰かが間違えて出しておいたゴミが狙われたのだろうか。

 烏のような大きなとりは1羽でも近くで見るとかなり恐い。
 何を思ったのか背後から襲ってくるかのように急降下して頭にアタックしてくることがあるから尚更恐い。
 それでも、静かに留まっている烏をまじまじと見ると、意外に可愛い目をしているもので、何だコイツも案外根は悪い奴ではないのかもなと思ったりすることもある。

 ところが、ひとつところに大量に集まって喚き出すと恐いなんてもんじゃない。烏同士でやりあう分には構わないが人間には構わないでくれと心のなかで祈りながら足早にやり過ごすしかない。
 急に集団で襲われたらこちらには為す術がないのであって、そんなことを想像してしまうと正気ではいられない。かと言って急に走ったりすれば無用に刺激してしまうことになりそうで、極力目立たぬように集団の中を通過した。

 小さい鳥なら恐くないのかと考えてみたら、過去に体験したことを思い出した。しかも何度かその状況に遭遇していた。
 それは、ムクドリだ。
 ムクドリは、体調25センチほどだから、雀よりは大きいが鳩よりは小さい鳥だ。そのムクドリが大量に電線に止まっていることがあった。あるいはムクドリが街路樹に大量に止まり、かつ、空にも大量に群れをなして旋回し続けていることがあった。
 数え切れないというレベルを超えて、数えたくない。見ているだけでも恐いのに、鳴き声が輪をかけて恐い。

 なにかが大量に集まっている様子はそれだけで恐さにつながるのかもしれない。それは理由もなしに恐い。
 池に投げた餌に大量に群がる鯉も恐いし、落ちた菓子パンくずに群がる蟻も恐い。冬に迂闊にかき分けた枯れ葉の下で見つけた大量の虫も恐いし、池に大量発生したアブの幼虫も恐い。

 そう言えば、今日の昼食に出た料理で、たくさんの小魚がバケット(パン)の上に並べられているのを見たときも、そこはかとない怖さを感じた。思い切って口に放り込んでみたら、その怖さとは裏腹に美味しかったが、怖いという印象が先に立って、怖いんだか美味しいんだかという妙な感情だけが取り残された。

おわり

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