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夢の産物

 やる気があるわけでは無いのに偶然たまたま結果を出したりすると、あいつは凄いとか、仕事好きだとか、失敗したことが無いヤツとか、上手くいかない奴の気持ちが分からないとか、図に乗っているとか言われたりする。
 どれも当たっていなくて、当人的にはホント偶然の産物というか、仕事好きどころかダラダラしている方が好きと思っていたりする。

 君ならもっと出来るだろうなんていう風にあらぬ期待が掛けられたり、将来を背負って立つんだからとか、みんな君の背中を見ているだとか、本人にとっては、はた迷惑なことを言われて辟易へきえきすることだってあるだろう。

 たとえ偶然だとしてもそんなラッキーな目に遭ったことが無いという人はひがみに僻むかも知れないが、偶然なんてそんなもんだろう。
 いつ誰の所に降りてくるか分からない。
 降りてきたところで、世間の目は誤解に満ちたもの。
 本人の思いなどとは違うところで独り歩きするものだから、想像するほど良い目には逢えないと思っておいた方が良い。

 ボクサーで大金を稼いだ後、自己破産した上でなお大金を手にした元ヘビー級チャンピョンのマイク・タイソンが辛くも言っている。「大金を手にしたことがない人は、お金で幸せになれると思っているが、それは真実じゃない。カネは間違った安心感を持たせることになる」と。カネでは守れない大切なものがあるのに、カネの前では人は盲目になる。
 それでも人はカネを追い求めて止まない。

 手にしてみたら思っていたのと違っていたという真実は、手にしてみないことには理解出来ない。しかし、手にした時には後悔しか生まれないかもしれない。一度くらい使い道が思いつかないくらいのカネを手にしてみたいものだと思ったことが無いと言えば嘘になるが、そんな大金が懐に入ったところで、きっと大して良い思いは出来ないのだろう。
 むしろ平々凡々な方が良かったと思うのかもしれない。

 夢は手に入らないからこそ夢であり続ける。
 手に入れてしまったら次の夢を探さなければならない。夢だっと思っていたものが大したものでなかったことに気付かされた幻滅でやる気を喪失することだってある。
 だからと言って簡単には夢をあきらめきれない。諦めたらそこで終わってしまう。
 大切なのは、夢が実現した時こそがスタート地点と思える心構えと、あなた自身が変わった結果によって手に入れることの出来る夢を目標に設定すべきということだ。偶然に実現する夢は、ぼた餅どころか災いに過ぎないと、当てにしない方が良い。

おわり

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