見出し画像

デフレというブラックホール

後になってから、あの金融政策は失敗だったと指摘するのは簡単だ。

それは分かっていても、先進諸国が取り組んできた金融緩和策は正解だったとは言えない気がしてしまう。中でも特に日本が酷いと感じてしまう。

だからといって別に責めているわけではない。
どうするのが正解かを誰も分からない状況下だったにしては、最善の策だったのかも知れないからだ。金融緩和をしていなければもっとひどい状態になっていたかもしれないのだ。

正解ではなかったが間違いとまでは言えない、そんな状況ではなかろうか。

今わたしたちは、デフレというブラックホールの中にいる。
這い出そうといくら足掻いても徒労に終わる。

モノが安く手に入るからといって諸手を挙げて肯定してはいけない。高級品に群がるセレブレティを僻んではならない。
物価の低下によって日本の世界的競争力は落ちた。グローバル展開企業は辛うじて存在感を示しているが、それ以外の部分を見ると日本企業は内弁慶な井の中の蛙で、デフレブラックホールにすっかり馴染んでしまっている。

格差の広がりが騒がれているが、その事が示すのは日本社会の弱体化だ。金銭的な格差はすなわち社会の見方の格差でもある。
いわゆる上級国民と庶民とでは、同じ景色を見ても全く違って見えている。
本当は上級国民なんていないのだ。いるように見えるほどに格差が広がっていると言うことだ。

むかし日本は一億総中流社会と言われた時代があった。今では一億総活躍社会と言い換えられている。
そんな安易なキャッチフレーズには騙されないのかと思えば、みんなその気になっているように見える。これじゃあ一億総騙され社会だ。

一億総中流社会と言われていた時代の企業の定年は55歳だった。定年になると退職し、悠々自適な生活を送る人が多かった。55歳にして老後の金銭的な心配もなく、退職金と年金で質素ながら孫の顔をめでるのを楽しみに生きていた。

現在では、55歳になると雇用延長と称して給与が下げられながらも引き続き働くことを強要され(働かないと老後生活が成り立たないからだ)、65歳にならないと正規の年金は支給されない。
65歳まで働いたからと言って老後の経済的不安は解消されることはなく、死ぬまで働くことに悦びを見出すように仕向けられようとしている。

女性の活躍という理念は正しく言葉は美しいが、要は労働人口の不足を埋めるには専業主婦のように働かない人たちがいてもらっては困るからという理由で、長年に渡って洗脳してきた面がある気がする。社会の中で女性が賃金を得るための労働により活躍することと、女性が女性だからという理由によって仕事の機会や評価での差別を受けない仕組みをつくることは別の次元のことだ。
差別をなくすことは何よりも重要だ。しかし、悦んで働く人口を増やす目的で、差別をなくすという大義名分が使われたのだとすれば残念と思うのは考えすぎだろうか。

デフレと労働人口の問題は直接関係が無い。
もともと別々に発生したことで、それぞれ対策を考えなければならないこととして存在していた問題だろう。
しかしこれらがタイミング的に重なることで悪い相乗効果になってしまって、ブラックホールをより強力なものにしてしまった。

日本製品は確かに良く出来ている。
しかし世界ではそんなに売れていない。

物価が安いのは生活し易い。
しかし世界の物価がやたらと高く見える。

輸入から切り離せない日本という国の経済がデフレ下で好転するきっかけを見つけるのは相当に難しいことなのではないだろうか。
労働力が減る中で、既得権益や旧態依然とした制度や仕組みが足枷として機能していては、イノベーションは煙と消えてしまう。

悪循環を好循環に転換するきっかけを見つけられないまま、日本はここ数十年を過ごしてきた。
問題なのは、ある意味でこれが誰のせいでもないということだ。
誰がやっても、どうやっても、如何ともしがたいことがあるものだ。

あの時、ああしておけば良かったとは言えることが多々あるかもしれない。
しかし、そんなことは勝手気ままなコメンテーターの言うことだ。

これからの日本は君たち若者の肩に掛かっている、なんて言われれば、何と無責任で迷惑な老人たちだと思うことは間違いないだろう。
誰も正解を見出せない世界の中で、残念ながらこれまでは上手くいかなかった。
もしかしたら、今の若者たちが生きていくこれからの時代では正解に辿り着けず、さらにその先の若者に託すしかないかもしれない。
いや、今後正解は見つけられないかもしれない。

何かをきっかけに、これまでとは全く違った世界が広がる可能性もある。その可能性に賭けるしかないとすれば人間は実に無力であるが、それが現実でもある。

過去の延長線上に未来があるという見方。
時間の経過を直線的とらえて、過去は後ろに過ぎていき、未来が向こうからやってくる感じ。
そういったイメージから逃れられない限り、未来は変えられない。

今日の選択が明日を造り、今の選択が次の瞬間を創る。
未来を作るのは今であり、未来は今の中にしかない。
過去は後ろにあるのではなく、もはやどこにも無い。あるとすれば今の中に織り込まれるようにして、ここにあると言った方が正しいだろう。

人は遠い未来はおろか近い将来だって見通せない。
見通せないからこそ、常に次の瞬間を創り続けることでしか打開は出来ないはずだ。

でも打開するのは容易ではない。
皆が同じ方向を向かないと生じないような途方もないエネルギーを要する。

そんなことが出来ていれば、とっくにデフレと言うブラックホールから脱出出来ていたはずだ。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?