映画『娼年』
子供の頃、寿司というと干瓢巻といくらしか食べられなかった。だから寿司屋ではずっとそのふたつをリピートしていた。試しにこれを食べてごらんと両親に言われても頑なに拒んだ。マグロだってウニだって、そんなものはみんな美味しいわけがないと思っていた。なぜ大人たちがそんなものを美味しそうに食べているのか理解出来なかった。
1学年上がるごとだったかどうか覚えていないが、いつの間にかマグロもウニも好物になっていた。結果的には食わず嫌いだけだったのだけれど、あの時の私が美味しいはずもないと思っていたことだけは間違っていない。そう確信していた。
女なんてつまらない。
主人公がどうしてそう思うに至ったのかは、はっきりとは分からない。特定の彼女を作ることもせず、大学の授業も受けず、バーテンダーのバイトと行きずりのセックス。
自分が将来、何になりたいのか、どうなりたいのかということが見えないのは、どんな学生でもあることだ。自堕落に時を過ごすことだって学生にしか出来ない経験だ。
そんな普通の学生だったからこそ勤まる仕事があると目をつけられ、実際にその通りになる。
そう、彼は娼夫になる。
きっかけは何でも良かったのかも知れない。
その仕事でなくても見つけられた答えだったのかもしれない。
ともかく、彼は仕事を通じて人間を知り、自分を知ることになる。そして女の性を。
セックスや性のことはタブーとされ、皆が内に秘めているからこそ、そこにしかない真実が隠れている。隠された大切な秘密は、撫で合い舐め合うことで少しずつ開放される。そこに広がる人の奥深さを知ってから、ステレオタイプな娼夫批判に反抗する主人公は、理解して貰うことを諦めるしかないのか歯がゆさに唇を噛みしめる。
奥が深い秘密ほど、本当は聞いてもらいたいし、知ってもらいたい。
それをそのままに受け止められた時、吐露された秘密は利き手に宿り、二人の間で木霊する。
独りよがりのセックスからは見ることの出来なかった深淵を観た主人公は、その谷間に光を当てることで人が生きる力を得られることに気づかされるようになる。
落ち着いたらまたおいで、いつでも無料だから。
そう言って待っていてもらえる人が現実にいたとしたら、こんなに素敵なことはない。
おわり
サムネ画像はオフィシャルサイトからの転載です。
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