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北風と台風

夏になると忘れられてしまうが、日本の冬の北風は結構冷たい。
冬の始まりの頃は身体が寒さに慣れていないものだから特に堪える。

真冬になれば地域によっては死に至るような北風が吹く。

寒さの中で生き抜く知恵を身に付けて営んできた人類はマイナス50度の厳しい環境でも暮らしている人々がいる。
それに比べれば日本の北風なんて屁のようなものだが、人の感覚は相対的なものだから寒いものは寒い。


夏になると、そんな寒かった季節のことはすっかり忘れて、暑い暑いと文句を言いながら過ごす。
吹く風は激しい熱気を纏っていて、容赦なく人のやる気を削ぐ。さしたる意図が無くとも無意識に暑いと口にさせられる強制力がある。

けれど世の中には夏が大好きという人もいて、暑いの大好き! なんて、私にすれば信じられないことを言ったりしている。

そんな夏好きな人達だってエアコンと無縁でいられるわけではあるまい。
暑いのが好きと言っておきながら、寝苦しい夜には耐えられないのかもしれない。

まして夏がそれほど好きでもない私のような人間は、エアコンに頼り切った怠惰な生活をやめられるはずもなく、日本の夏の電力消費量が鰻登りになるのもうなずける。

しかし、そんなことにうなずいてばかりいるわけにもいかない。
なぜなら世の中今やエスディージーズとやらが流行りで、持続可能な社会、カーボンニュートラルな世界にまっしぐらという風潮だからだ。

もちろん、それは良い事だ。
このままでは持続不可能な状況になる事が見えているのだから、今から手を打っておかないと手遅れになる、のだろう。
SDGsは、思想としては間違ってはいないのだが、穿った見方しかできない私には、何処か胡散臭い気がしてならない。純粋に子々孫々のためということだけではなく、利権やら金儲けやらの隠れ蓑になっている気がしてならないのだ。

ほら、そんなことを言うやつがいるから駄目なんだと指をさされそうだが、別にアンチではないし、無駄遣いを推奨するつもりもないし、何なら人より省エネで環境に優しい生活を心掛けているつもりだ。

きっとSDGsの何たるかを全く理解していないからありもしない思惑に疑いの目を向けてしまうのだろう。我ながら悪い癖だ。


夏にはしばしば台風が発生して、その進路予測にハラハラしている日本だが、地球の裏側ではあの寒い季節が訪れているはずで、凍えるような南風に襟を立て首をすくめているのだろう。
いっそのこと暑さと寒さが均一化すれば過ごしやすい季節だけになって楽園じゃないかと夢想したりしてみるが、地球全体で温度が均一になれば風が吹かなくなって、タンポポの種だって遠くに行けなくなる。

寒い北風も怖い台風も、地球が生きているからこそのものなのだ。
生きているということは、大きなバランスの中で変動し脈動し続けるということであって、薬によって病を直せるとは限らないように、人間の考えで気候変動を正しい方向に導けると思うのは、おこがましいことなのではないかとの疑念が頭から去らない。

夏になれば冬の北風の冷たさをこれ程までに忘れてしまっている私には、台風の進路予測よりも遥かに難しい事のように思える。

おわり

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