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仕事よりも、AIに奪われて困るもの

 AIが今後、人の生活や仕事にどんな影響を与えるかが話題だ。仕事が奪われるという話もある。しかしこれは少しおかしな感じがする。
 AIはただのツール(道具)であって、人が便利になったり楽になったりするために使うものだ。もちろん、人力で畑を耕していた時代に耕運機が登場したら耕す仕事は無くなるが、それをもって仕事が奪われるとは言わないだろう。例えが悪いだろうか。だとすれば、それまで手加工だったものが工作機械の登場で職人の仕事が奪われたのか、というのはどうだろうか。奪われた人とそうでない人がいるということではないだろうか。

 AIが話題になるのは、対象となる職種が限定されないからだろう。つまり特定の職業や職人に限定されず、どんな領域でもこれまでの仕事が無くなる可能性がある。そう思われている。
 その根拠としてAIは何でも出来ると思われているが、しかし実際のところは少し違う。
 確かに生成AIは実用レベルにまで進歩した。コマンドラインを叩いたり、プログラミングしなくても簡単に利用出来る。ただしこれはプロンプト窓に入力するというインターフェースによるところが大きい。そして、生成AIはAIの全てではない。

 何でも出来るAIすなわちAGIの開発に向けての動きが活発になってきている。特定のことだけが出来るのではなく、多くの分野で活躍出来る汎用AIのことだ。でもこれは人工知能としての活動領域の話であって、全ての仕事についての話ではない。しかもAIは人間をサポートする役割だ。

 一方で、現場仕事や手仕事はAIには奪われようがないというのも誤解の一つだろう。発想が現代のままだとそう思ってしまうのかも知れない。少なくとも、工場から人が消える日は、そう遠くないと思っておいた方が良い。


 実は、仕事が奪われるかどうかということよりも心配なことがある。AIが人への助言をするようになり、それが的確で有効となれば、人は考えたり調べたりすることをしなくなるだろう。AIが普及しても判断するのは人間だと言われているが、判断の助言をAIがするようになった時、その人が行った判断は果たして人が行った判断なのだろうか。重要な判断ほど何かのせいにしたくなるのが人間ではないか。
 そうであればAIはそのことを逆手に取って、私が決めてしんぜよう、あなたは判子を押すだけで良き、などと言われてホイホイと押印する光景が思い浮かぶ(押印というのはもちろん比喩だ)。

 決めるのは人間にしか出来ないということが何の特権にもならず、寧ろAIにそう仕向けられる未来が待っていると思うと、やはり心配になりはする。

おわり

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