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思惑(おもわく)
人は思惑によって生きている。
現実を見るよりも想像したものを信用してしまう。
こういうことなのではないか、こうなるのではないか、こうなるといいな、きっとこうだ。
つまり、頭の中で作られる架空の世界の中で生きていることになる。
思惑は人によって違う方向に働く。
ある人はポジティブな想像をし、別のある人はネガティブな想像をする。
きっとこうなるはず、と良い結果を想像したり、絶対こんな風にはなるはずが無い、と悪い結果を想像したり。
どちらの想像の方が良い結果を招くかは分からない。
あの彼はきっと私のことを好きになるはず、と思って告白する人と、あの娘が僕のことを気に入るはずもない、と告白を諦める人。
この場合は、ポジティブに考えて告白する人の方がチャンスが広がる。告白した結果が駄目でも次があるし、間違いなく告白しないより可能性がある。告白しなければ可能性はゼロだ。
この株価は上昇するはず、と楽観的な想像しかしない人と、この場面では下がるかも知れないから今回は見送ろうという人。
この場合、どう転ぶかは分からない。悲観すべき状況で楽観的過ぎるのは危険だが、見送り続けていてはいつまでも儲からない。
思惑があるからこそ、宝くじが売れるのだとも言える。宝くじが当たるのはマンホールに象を押し込むより難しいと言う方が現実に近いが、多くの人は当たるかもしれない、と想像を働かせる。それだけではなく、もし当たったらあれを買おう、あそこに行こうと、取らぬ狸の皮算用を始める。
目の前の現実は見えているようで見えない。
あとちょっと、もうちょっと、あと一杯と思っているときに正しく判断出来ているのだとすれば、後であんなに後悔するはずが無い。
良かれと思ってやることも、思惑が外れる良い例だ。
要するに、人は正しい判断をすることはかなり難しい。
というよりも、正しい判断になるかどうかは、ほぼ偶然みたいなものだ。
現実を正しく捉えたとしても、その後に脳の中で生じる思惑が間違った方向に導くことだってあるのだから。
だから、間違った時にそれに素早く気がつくこと、軌道修正をすることが大切だ。間違う前提で注意深く見守って、ズレてきたら即座に対応する。それが良い。
世の中どうせ、絶対に上手くいくなんてことはないのだから。
ところで、思惑の惑は当て字だというが、こうして思惑について思い惑っている事を考えると、良い字を当てたものだと思う。
思惑によって生き、思惑によって惑う。
何とも因果な人の世ですな。
おわり
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