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スーパー猫の日に思う

 幼少の頃から中学までは犬と暮らしていた。
 猫はそこら中に幾らでもいたから家で飼うまでもなかったのだ。
 犬は雪が降っても変わらず散歩を要求したが、猫は本当に炬燵で丸くなるのだろうかと思ったりはしていた。

 高校生の頃、我が家に猫が来たのは突然だった。ある日、庭先に勝手にいたのだから突然も何も無い。迷子になったのか親に捨てられたのか知らないが子猫が迷い込んで来たのだ。
 中学の時に犬が亡くなって以来、我が家に生き物はいなかったので、母はその子猫を見て、明日の朝もまだ家の庭にいたら飼ってあげようかと言った。
 翌朝見てみるとそのトラ猫は昨日と同じ場所に変わらずにいた。そして我が家で最初の猫族出身の家族になった。

 元が野良だからか、その猫は家でじっとしているのを好まず、基本外にいた。外を猛スピードで駆け回っていた。こちらは全く嬉しくないが、時には捕まえた雀や蝉を持ち帰ってくれた。
 食事のときだけは家に上がって、食べるとまた外で過ごしていた。
 それでも呼べば飛んでくるし、母が近所のスーパーに行くときは途中までついて行ったりしていた。

 しかしある日、その子は突然姿を消した。うちに来たときも突然だったがいなくなるのも突然だった。世話になりましたと言うのでもなく、もう嫌になったから出てってやると凄むのでもなく、気づいたらいなくなっていた。夕食の時間になっても帰ってこなかったので周囲を探したがとうとう見当たらなかった。と言っても当時高校生だった私は家族がやっている捜索活動には参加しなかった。どうでも良かったのではなくて、怖かったのだ。探しているうちに車に惹かれたあの子の姿に出会ってしまったりしたら正気ではいられない。そんな場面に遭遇するのが怖くて、ひとり家で家族が帰るのを待っていた。


 次に我が家にやってきたのは、ペット雑誌のブリーダー紹介欄で見つけ、運良くうちに来ることになった子だった。
 前回の反省から家中で飼うことにしたのだが、どうもこの人もじっとしていられない質のようで、目を離すと直ぐに器用に網戸を開けて外に出ていってしまうのだった。
 母は対抗措置として網戸をガムテープで留めるという何とも見栄えの悪い手段を講じたのだが、それでも上手いこと開けて脱走していた。
 脱走しても、外に飽きたりお腹が減れば帰って来るので、こちらもそれ程不安にはならなかった。
 それでも一度だけ帰って来なくなったことがあって、2週間ほど経ってからガリガリになって戻ったことがあった。
 その時は流石に本人も懲りたのか、それからは長期間脱走することは無くなった。

 脱走好きのその子はそれでも、朝母に私を起こしてくるよう言われると律儀に起こしに来てくれた。もちろん、起こしに来たついでに布団に潜り込んできて一緒に寝てしまうのは猫族だから仕方がない。結局私とその子は母に起こされ、その子の方は、起こして来てって言ったのに何やってるのよあなたはと母に呆れられていた。
 その子は後年私の両親が引っ越すのに伴って遠方の地に行き、天寿を全うした。


 そして今一緒にいるのが、写真のこの人。
 10年経ってようやく少し懐いてきたかなというくらい懐かなかった。容易には触らせてくれない。抱っこなんてもってのほか。布団にも入らないし炬燵にも入らない。喋り始めるのも遅かった。
 無愛想であることは今も変わらないが、気づけば人の近くで眠ってたりする。きっと孤独が好きなだけなんだろう。
 呼びかけても呼びかけても無視されるが、何故か憎めない。
 可愛い時もあれば怖い時もある。
 意外と愛嬌なんてない。

 でもいいのだ。
 猫と人とは所詮別の生き物。一緒の空間をともにするだけで幸せと思えるくらいが丁度よい距離感なんだと思う。
 だから私はこれからも猫族と一緒に生活し続けるような気がしている。

おわり

 

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