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選択肢を減らしているのは、あなた自身かも知れない

 ランチメニューが一品しかない店ならば、何も考えずに席に着くだけで良いからメニューから選ぶ手間が省ける。
 しかしそれでは味気ないし飽きるということで、メニューが豊富な普通の店に行けば、悩んだ挙げ句に定番の好きなメニューに着地したりする。

 選択肢が多いことは迷い悩むことと裏腹であるが、どれにするか悩むことも楽しみだったりするから悪いこととは言えない。
 これが食べ物のメニューであればまだ良いが、人生を左右する選択となればどうだろうか。いっそ選択肢がない方がいいやという人もいるのだろうか。
 多くの選択肢から一つの道をチョイスする時、それと同時に選ぶリスクを背負うことになる。俗に自己責任と言われる。そんな責任を負わされるのはゴメンだというのも分かる。

 その逆に自由度が極めて低い状況だと他の道を選ぶという選択はありえないから、諦めるか受け入れるかして飲み込むしかない。その代わり自己責任からは開放され人のせいに出来るかも知れない。そうしたことが個人にとって良いことなのかそうでないかは、物心つく前から家業を継ぐことが半ば決められている歌舞伎役者なら分かるのかも知れない。

 もっとも、現実的に考えてみると選択の幅は広くもなく狭くもないのが普通だ。
 日本は世界の中でも比較的自由な社会ではあるが、中学や高校を卒業するときに選べる進路は思うほど多くはないはずだ。
 実現可能性がゼロでなくても、幼稚園児の時のように本気で戦隊ヒーローになれると思って目指す人は限られているだろうし、警察官やパティシエになることも大方諦めているだろう。空想してたのと現実との違いに幻滅したりすることも、選択の範囲を狭めることになる。

 とはいえ、こうして選択肢を狭めているのは、実はあなた自身であることが多い。中卒で既に働いていたとしても東大を目指してはいけないということはないし、高校卒業まで体育の授業以外に経験が無いからといってプロサッカー選手を目指すことを禁じられている訳では無い。
 そんなことは出来ない、無理だ、と思うのは自由だが、それも一つの選択だ。元々選択肢が無いのとは全く違う。

 少し前に話題になった親ガチャという言い方は、自分では選択の余地がない親という存在に責任を被せてしまおうということでもある。
 しかし子供が自身の意志で虐待する親から逃れることは通常できないから、物心がついたときに自由を知らない環境に置かれているというのは本当に酷な話だ。それでも、いつまでも親のせいにばかりしてはいられまい。世間は育った環境など気にかけてはくれないものだ。
 子供にとって親の影響は、親に与えられた社会的な責任よりも遥かに大きい。言葉で教えられなくとも家庭環境から吸収することは子供には大きなことだ。

 もし大人になったあなたが自らの選択肢を極度に狭める考え方をしているとするなら、それは育った環境による影響が大きい。
 家庭環境もそうだが、社会環境もそうだし、時代も影響する。
 一時的であれ幼少のときに海外で暮らした経験があると、周囲とは違った世界観を持つ場合もある。

 気が付かないうちに自らの選択肢を狭めてしまうことの無いよう、考え方だけでも自由であり続けることを忘れないようにしたい。

おわり


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