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人類の進化と自然淘汰との戦い

 環境に適応すべく地球上の生物は進化を遂げてきた。その仕組は、細胞内に持つ遺伝子に設計図たる情報を閉じ込めておき、交配の際には持っている遺伝子を半分ずつ差し出して新しい設計図を作り出すという単純なものだ。基本的な仕組みは単純だが、遺伝子を受け継ぐ生化学的なプロセスは極めて複雑だ。遺伝子には交配によるランダムさに加えて、様々な要因によって起こる複製エラーが起こる。設計図通りにならないことが時には良い方向に働いて生き残りを可能とする場合もあると考えられる。

 さて、遺伝によって、改変を加えながら代々設計図を受け継いでいくことで、環境に適応出来たものだけが生き残るとされている。
 ここで一つ疑問が湧く。
 遺伝子は過去から現在に掛けて適応出来たことを表しているものの、未来に向けての適応可能性を示すものでは無いのではないか。となれば、進化の仕組みによって遺伝子を受け継ぎ続けることが出来るかどうかは、環境の変化スピードと進化による変化スピードのバランスによることになる。環境の変化が進化の速度に比べて速すぎれば、適応するまもなく遺伝子が絶たれてしまう。

 人間の場合は、進化によって大容量の脳を手に入れ、それによって考える力を得た訳だが、それと同時に未熟なまま産まれるため大人になるまで二十年近くを要してしまうようになった。少なくともその年齢まで生き長らえる為には、親の庇護のみならず厳しい自然環境に対抗できる庵や火、そして大量の食料や水が必要で、それらを実現するための社会や技術、医療や制度を構築してきた。
 その結果、高度に発達した文明を手にした。これは同時に、人が産まれてから死ぬまでの長さを急激に長くすることになった。

 改めてデータを見て驚くが、戦前つまり1900年代半ば頃までは、日本人の平均寿命は50歳未満だったのだ。それからたった70年位で人生百年時代が来るのですと現実的な話として言われるようになったのだ。この間ヒトは進化したのではなく、生活環境を変えたに過ぎない。

 今の私達は寿命が延びることを喜んですらいるが、長寿命化はすなわち世代交代の速度が遅くなることを意味している。世代交代こそが進化の要なので、長生きはさながら進化の敵なのだ。つまりヒトはなるべく進化しない方向へと進化していることになる。
 自然淘汰の観点で言えば、環境に適応出来る子孫を残すには、それ以上の数の適応出来ない子を産むことを意味する。ありとあらゆる掛け合わせの中からたまたま生き延びるための能力を兼ね備えた者がいるかどうかが決定的に重要だ。淘汰される機会を減らすことに成功してきた人類にとっては、自然に淘汰されるような事態は避けるべきことになった。発達した頭脳によって進化を遅らせることが出来たのだ。頭脳の機能を補うがAIという機械まで手に入れたとしたら、進化のスピードは更に遅くなるのだろうか。

 どんな遺伝子が「正解」だったのかは、通り過ぎてから振り返ってみて初めて分かることだ。人類の文明による自然淘汰との戦いが「正しい」選択だったのかどうかの結果が分かる頃には、流石に私はこの世にいないだろう。結果を見届ける事になる場合があるとすれば、人類が寿命を克服した時か、あるいは自然に淘汰されることが確定した時であろう。

おわり

 


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