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宮台真司氏が襲われるという条理

 都立大学で人が刃物で襲われたという一報をネットニュースで見たとき、私は嫌な予感がした。頭の中を宮台氏の名前が過ぎったのだ。けれども、まあそんな訳ないかと思い直して、その時は別のニュース記事に目を移した。

 帰宅してテレビのニュースで宮台氏が襲われたと報道されているのを見た時には、それこそ背筋が凍る思いがした。それと同時に、そんな時代なのかも知れないと思う気持ちも同居していた。

 私は宮台氏とは何の繋がりもない。親戚でもなければ、教えを受けた訳でもない。彼の著書を数冊だけ持ってはいるが熱心なファンと言うにはおこがましい。
 最近ではネットメディアでの彼を見ることが多くなって来て、社会学という学問に興味を持つ切っ掛けになりつつあった。そんな距離感だ。

 犯行に及んだ理由が個人的な恨みであれば、この事件は他人の私達には直接関係がない。しかしそれ以外の理由だったとすれば、私達にも大いに関係する事件と捉えたい。
 宮台氏は社会学の研究者であり教員であるからして、あちこちで社会学的な観点で様々なことを論じるのは普通のことだ。そんな普通の人が赤の他人に襲われるとしたら、宮台氏の言論が気に食わない人の仕業か、自分のことをバカにされ否定されたと勝手に誤解した人の仕業ではないかと勘繰る。
 それにしても殺人未遂であるから、余程のカネを積まれた殺し屋稼業による犯行か、もしくは感情の劣化の挙げ句に生じた人格障害者によって引き起こされた事件であろうか。後者だとすればまさに宮台氏の手中であり、犯人は図らずも実地の研究材料を提供したことになる。

 この事件は恐らく、言論を暴力で封殺しよう等という単純な動機によるものではないだろう。
 社会の澱の淀みから湧き出た悪臭とも言えるガスを吸い込んだことによるアレルギー反応にも似た心の叫びがそうさせたのかもしれない。
 そして世の中の多くの人は、その同じガスを吸って芳ばしいと目を細めているのだ。くさにおいもずっといでいれば分からなくなる。既に私達の多くは良い匂いと感じている。
 私達の中で育っている悪臭を消し去るには、もっと強烈な香りを放つ香水か、一度温泉にでもつかって洗い流してやるのが良い。
 私ならそんな温泉を探し続けたい。

 犯行にはその人なりの条理があるものだ。
 その条理は社会と影響し合っている。

 早期の犯人逮捕と原因究明、そして何より、宮台氏の一日も早い回復を祈る。

おわり

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