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スマホが身体の一部になった人類が見る世界

 これだけスマホが身近になってくると、もはや道具というレベルではなく、身体の一部になっていると言って良いだろう。

 私たちは外界とのやり取りの多くを、スマホを通じて行うようになった。外界とのやり取りだけではなく、独りで過ごす時間もスマホが頼りになった。
 スマホが普及する以前、私たちは独りの時間をどうやって過ごしていたのだろうか。

 思い出せるのは、テレビやラジオ、新聞などのメディアを見聞きしたり、本を読んだり、あるいは趣味に没頭したりといったところか。
 中にはPCを使ってインターネットを徘徊したりと、スマホで行われているようなことをしていた人もいただろう。
 少なくとも現在スマホに費やしている時間を他のことに費やしていたことは間違い無い。

 身体が外界からの情報を受け止めると、それによって脳の変化が起きる。
 そこでの情報は、受け止めた時点の現実を固定化した標本として切り取ったものであるが、外界からの情報流入はリアルタイムで起きているから、脳側では切片の標本収集というよりもフローとして受け続ける必要がある。しかし、入ってくるものを終始気にしていたら処理すべき情報量が多すぎる。だから人は、ひとつのことに集中するように出来ている。

 例えば耳から入ってくる音の場合を考えてみよう。人は聞く以外のことに集中していると聞こえなくなる。遠くの建築現場から聞こえてくるトンカチの音も、意識を向ければ聞こえるが、普通に他の作業をしていれば聞こえなくなる。その逆に、集中して聴けば沢山の楽器で構成されるオーケストラの音の中からビオラのフレーズのみを聞き分けたりも出来る。しかしその時は他の楽器の音は聞こえにくくなっている。ボリューム調整まで出来るようだ。

 つまり、脳は多くの雑多な情報の中からその時々で取捨選択して、必要な部分にフォーカスを当てることが出来る。

 しかし、音を聞き分けられるのは耳から入った生音に対しての場合だけで、補聴器を使うと分からなくなるという。聞き分けるための重要な何かが抜け落ちてしまうのだろう。補聴器では周波数帯ごとの瞬時のボリューム調整も出来ない。
 このことはライブと録音の違いにも通じるかも知れない。

 思いのままにフォーカスを当て、入力レベルを自動調節するような芸当がどうして実現出来るのか分からないが、これは耳だけではなく他の感覚器にも当てはまる。集中していると暑さを忘れることもあるし、周囲が見えなくなることもある。心頭滅却すれば火もまた涼しか。

 スマホから得られる情報は、既に誰かによって現実世界から切り取られた情報だ。標本化されて冷凍保存されたものだ。解凍しても元には戻らない。
 それが私達の身体の一部になっているとしたら、脳は現実を模型としてしか捉えられていない筈だ。
 つまり私たちはとっくにバーチャル世界に住んでいるのだ。

おわり

 


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