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個人の意見とその人自身

「あなたの言うことは信用できない」
 そう言われたとする。
 これはどういうことを意味するのか。

 あなたが信用出来ないから、そのあなたが言うことも信用出来ないということか。
 あなたが今言ったそのことは、合理性に欠けるので信用するに値しないということか。
 あなたのことは良く知らないので、信用して良いのか分からないということか。
 あなたが言うことでこれまで正しかったことは無いので、信用するのは無理ということか。
 あなたを信用してしまったら、不利益を被るのが目に見えているので信用したくないということか。
 そもそも信用したくないということか。

 あなたが言うことを信用するかどうかと考え出すからいけないのだと思う。あなたが言うことを無条件に信用して受け入れる必要も無ければ、あなたも信用することを強いている訳でもあるまい(浮気の言い訳を除けば)。
 普通の会話であれば、あなたが言ったことを相手は十分に吟味して、自分もそう思うか思わないか、それを正しいと思うかそう思わないか、あるいは自分だったらどう思うか、そういったことを考えれば良いのであって、信用するしないの問題ではないはずだ。

 あなたの言うこと、つまり意見表明があなた自身を表していると誤解されることが間々ある。言った本人も、言ったことが自分と一心同体と思ってしまっている節もある。
 あなたの意見は、生まれてこの方死ぬまで変わらないということの方が珍しいのであって、いまこの時に思っていたり思いついたことが、即ちあなた自身であるはずがない。
 逆に、お前はどうしようもないクズだ! と指を差されて物凄い形相で睨まれたとしても、それはその人の意見の表明に過ぎないのであって、言われたあなた自身がどうしようもないクズかどうかとは無関係だ。

 言ったこととそれを言った人自身を同一視してしまったり、言われたことと言われた人自身を同一視してしまうこのような例は日常のあちこちに転がっていて、だからこそ、「ここでタバコを吸わないで下さい」と言われただけで「喧嘩を売りやがって」ということになってしまう。

 あなたは、何を言おうと何をしようと、たとえどんな失敗をしようと、何を言われようとも、ひとりの人間としての価値は他の人と全く変わらない。
 すっかり複雑化した人間社会は法というルールのもとで成り立っている。そして民主主義においては何よりも個人の尊厳が重要であり、全ての人間がお互いに尊重し合うことが法の土台になっている。法のもとでは全ての人が同じ価値を持つとされる。
 これは理念とか概念といった空想ではなくて、民主主義が成立する過程で人々が勝ち取った考え方だ。
 お互いに尊重し合うという前提が崩れたら、個人も意見もへったくれもない。法も民主主義もない。

 人々が個人を尊重しあうことよりも全体の空気が尊重される社会に住んでいながら、うっかり民主主義や個人の自由を考え方を真似しようとすると火傷するかもしれない。異質なものとして鬱陶しいと思われたり、爪弾きにされたり、いじめられたりするだろう。
 そんな時こそ、個人の尊厳をしっかりと自覚しよう。 
 そんなことではあなたの尊厳はびくともしないということを自覚しよう。
 誰が何を言おうとも、あなたの価値は一寸たりとも動かないことを意識しよう。
 言われたことで、自分自身を蔑む必要は全くない。仮に蔑んだとしてもあなた自身はびくともしない。

 どんなことがあろうとも、あなたはあなたであり続けると信じることが出来れば、信用できないとは言われなくなるだろう。信用できないとは、言わせてはならない。

おわり

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