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行きたくない時の・・・

 お腹が痛いと言って学校を休む子供がいるという話を聞いたことがある。これを聞いた私は、学校に行きたくないための仮病だろうと思っていた。行きたくない事を素直に行きたくないと言えずに、お腹が痛いせいにしているのだろうと。

 これまで気が付かなった事が不思議な位だが、私自身今でも、日曜日の夜や月曜日の朝になるとお腹が痛くなる。1時間位トイレに籠もって痛みに七転八倒する時もある。土日に何か悪いものを食べているということではない。でも、元々お腹は強い方ではないし、父親ゆずり的な部分もあって、そんなもんだろうとしか思っていなかった。
 ところが、一昨年に整体通いを始めてから、体中が凝っているのに自分で気付いていなかったことに気付かされたのをきっかけに、もしかしてもしかすると、お腹が痛くなるのはストレス? と思うに至った。

 これまで自分はストレスが少ない方と思っていたし、健康診断の問診票などでもストレス⇒あまりないに丸を付けていた。
 しかし、研修の講師をするような時には決まってお腹が痛くなるし、明日が会社だと意図して思わなくても日曜日の夜や月曜日の朝に決まってお腹が痛くなる。土日は至って快適なのにも関わらずだ。
 これがストレスというものなのか、と今頃になって改めてしみじみと思っている次第である。

 逆にというか、年末年始などの長期の休み明けは何故か痛くならない。
 きっと、会社に行くことのストレスを忘れてしまっているからなのだろう。

 こんな自分の体験から考えてみると、一口にストレスと言っても様々な感じ方があるのだなと他人事のように思う。私の場合は身体がストレスを感じているにも関わらず心はそれに蓋をしてしまっていてストレスに感じていない。ある意味重症なのかもしれない。気付かないうちに蓄積したストレスがいつか爆発してどうにかなってしまうのかもしれない。
 人によってはストレス、あーストレスだ、と言いながらバク食いしたり、買い物したり、ストレス発散のための運動をしたりといったように、きちんとストレスを感じて、それを解消すべく何らかの行動に移す人もいるようだ。あるいは、ストレス、ストレスと呪文のように唱えながら、部屋に引きこもって外界との交信を断絶する人もいるだろう。

 心の状態が身体の状態に反映するということは東洋医学を持ち出すまでもなく言われていて、そんな不思議な関係性に興味を持った時期もあったが、まさか自分が知らないうちにそんなにストレスを受けていたと気付いてみると、結局自分のことは分からないものだと変に納得してしまっている自分がいる。

 人間、嫌なことから逃れたいというのは、きっと生物として自然な反応だろう。
 毎週、意識が飛びそうにお腹が痛くなる度に、それでも会社に行くことを諦めないのは、きっと生物として不自然な行動だろう。
 いっそのこと会社に行くのをやめてしまえば良いのだろうが、そうもいかないという風に理性が邪魔をしてストレスを押し込めて忘れさせて働かせる。そんな私は自分自身の奴隷なのだろう。
  押さえつけているのが自分である限りどうにも逃れられない。今日もギリギリまでトイレで粘ってから、通勤途中でトイレに駆け込むことが無いことを祈りながらバス停まで走った。

おわり

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