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エスカレータ

 私の住む関東ではエスカレータの右側を歩いて登り、止まって乗る人は左側に並ぶ、という暗黙の慣習がある。
 エスカレータでは歩かないで下さいという世の動きがあるが、私は相変わらず歩いて登る派だ。
 埼玉県では「埼玉県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」が施行されていて利用者は「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない。」とされているから、どこへ行っても歩いて登るというわけにはいかないご時世ではある。
 エスカレータではじっと乗るか歩くかの議論については様々な記事が出ているので、改めてここで是非について論じるつもりはない。

 思い返すと、私が子供の頃はもちろん、かなり大きくなるまで歩いて登る習慣、つまり歩かない人が片側に寄って止まるという慣習は無かったように記憶している。そこで思ったのが、この慣習は何処が発祥かということ。
 この記事によれば、『国内では、67年ごろに関西の鉄道会社が「急ぐ方のため左側をお空けください」と呼び掛けたのが始まり。東京では89年ごろ、自然発生的に始まったという。』と書かれている。これが正しいとすれば、1969年生まれの私が大人になるまで関東ではエスカレータは止まって乗るものだったということになる。私の記憶は正しかったのだ。

 エスカレータは歩いて登るのと止まっているのとどちらが輸送効率が高いかということも良く話題になるが、歩く当事者にとってみれば歩いて登ったほうが速いに決まっている。
 歩く人がいない時でも(関東では)左側に乗る人の列が出来てしまうので、設備としての輸送効率は2列になってみんな止まって乗った時が一番ということになる。でも満員乗車(?)なら歩く人がいたほうが輸送効率が高くなるのは自明だ。

 エスカレータの話ではないが、便利になればなるほど人は忙しくなる。パソコンもスマホもEメールも無かった時代は効率は悪かったかもしれないが、今に比べるとのんびりしていたイメージがある。
 家事で言えば、例えば洗濯機が無かった時代と比べると洗濯に費やす時間は格段に減っているのだから、それだけ家事に取られる時間が減ったことで人はのんびり出来るはずだが、現実にはその空いた時間で色々なことをしてしまって却って忙しくなっている。
 便利になって効率的に何かがこなせるようになるほど、余暇時間をぼーっとするのではなく、ぼーっとしていてはいけないプレッシャーみたいなものが増えて、人は忙しくなる。
 スマホはほんと便利だよねと言いながら、便利になったお陰で余暇時間が増えたかと言えば、みんな過剰なくらいにスマホに齧りついていて、むしろスマホのせいで忙しくなっているかのように見える。

 都会というのは究極の便利が詰まった地域だから、そこにいる人々は究極的に忙しくなっていてもおかしくない。
 忙しい人々でも移動はしなければならないので、無駄な移動時間を如何いかに節約するかが鍵になる。エスカレータに止まって乗ってスマホを弄るのも時間の有効活用という意味で時間節約になるし、エスカレータを歩いて登るのも移動時間短縮という意味で時間節約になる。つまり、エスカレータの右側にいる人も左側にいる人も実はやっていることは同じなのだ。

 人が便利を求めるのは、楽をしたいという怠惰な欲求を満足させるためだったはずだと思うのだが、その逆にエスカレータを急いで登らなければ1日の用事を済ませることが出来ない程に忙しくなっている。もしくは、そういう気分になっている。
 こうなってくると、楽をしたいという元来の目的とは真逆なわけで、エスカレータを歩いて登りたくなる理由わけが自分でもだんだん分からなくなってくるが、「アンチ歩きスマホ」の私は徒歩移動中にスマホを弄らないので、早く空き時間を作るべく当面歩いて登るのをやめられなさそうだ。

おわり


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