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怒ったときは

「さっきは怒りに任せてあんなことを言ったけれど、本心ではないし、あなたを傷つけたいと思ってはいないの。ごめんなさい、許して」

ある外国映画で、ある女性が男性に向けて言ったセリフ。

怒ってしまったことを謝っているのではない。このセリフを聞いたとき私は、怒りという感情を表出することは人間として自然で仕方がないことだが、そのときに発した言葉によって傷つけてしまったことは「怒り」とは別のことであり謝ることだ、と言っているように理解した。

つまり、謝るべきことは怒ったことではなく、傷つける言葉を発したことということだ。

怒りに任せて口にしてしまったことを後悔したことは多くある。
その言葉によって相手を傷つけてしまったことを自覚している。
ただ、怒りに任せて言ってしまったことによって相手を傷つけた場合に、このセリフのように謝る発想は無かった。
私は怒ることは悪いことと教えられて育った気がする。

怒りは感情であるから、閉じ込めてしまうのは良くないのだろう。
しかし、怒りに任せて相手を傷つけるような言葉を発したとすれば、それは怒りという感情を超えて相手を攻撃することに他ならないのだから、別の話だ。
怒りを表すことは良い。
なぜ怒るのか説明するのなら良い。
でも、怒りの状態のまま攻撃に転じるのは良くない。

怒るのは、自分が精神的危害を加えられたと感じた場合であるから、自分を守るために攻撃しようとするのは自然の成り行きなのかもしれない。
でも、攻撃は相手の怒りを誘いはしても、自分の怒りの原因を無くすことにはつながらない。

怒りという感情が厄介なのは、怒りの状態下で言葉を使用して自分の怒りについて冷静に相手に説明することが困難だからだ。
例えば喜びの感情をその場で理路整然と説明する人がいないように、自分の感情を言葉で説明することは本来必要ない。
しかし、怒りと攻撃はワンセットになり易いから、怒りのままに振舞えば自ずと攻撃的になってしまう。

攻撃は言葉でされるとは限らず、暴力によって行われることも多いだろう。
怒りという感情は暴力に直結しやすいということだ。

では、怒りを感じた時、人はどうするのが良いのだろうか。

楽しければ人は笑う。
哀しければ泣く。
嬉しければ飛び上がる。
怒った時は、ののしる? 殴る? 蹴る?

他の感情は自己完結な動作に留まるのに、怒った時だけ相手に対してのアクションが伴うようなイメージがある。

幼少のころ、怒って本を床に投げつけた私に、父は物に当たるなと叱った。
プロテニスプレーヤーが自分の不甲斐ないプレーに苛立ってラケットをコートに投げつけるのを見て、あんなことをしてはいけないと言われる。

確かに見ていて気持ちの良い光景ではない。
物に当たることが良いことだと言うつもりもない。
でも、これらは相手を攻撃する行為ではない。

怒った時は心の中で10秒数えましょうとか言われても、それが出来るのは大した怒りでない場合であって、そんな冷静でいられないこともあるだろう。そういう時はどうしたら良いのだろうか。

猫なら、
怒った時は睨みつける。
怒った時は毛を逆立てる。
怒った時は耳を後ろに倒す。
怒った時は唸り声をあげる。
怒った時は歯をむき出す。
怒った時は噛みつく。

人はどうするのがベストだろう。

怒った時は黙る。
怒った時は歯ぎしりをする。
怒った時は拳を握りしめる。
怒った時は中指を立てる。
怒った時は泣く。
怒った時は笑う。

人間としての正解を知りたい。

おわり

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