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距離とコミュニケーション

 ビジネスの距離とプライベートな距離は違う。
 コミュニケーションのことだ。

 テレワークでは社員同士のコミュニケーションが図れないというやからは、たいていこのたぐいのコミュニケーション仕方の混同がある。
 プライベートでのコミュニケーションが親和性を高める手段、つまりお互いの距離を縮めるための道具であるのに対して、ビジネスにおいてのコミュニケーションは情報伝達の手段でしかないと思っておいた方が良い。社員同士が家族のように仲良くするのは構わないとしても、家族のような心理的距離感を求めるのは行き過ぎだ。そんな事をしても生産性向上や収益向上に繋がらない。もしビジネスの世界に家族的なものの導入を強硬に推進しようとする人がいたとしたなら、きっと理想的な家族感しか持ち合わせていないのだろう。

 このことは会社や上司の側だけではなく社員の側にも言える。
 テレワークと言うのはどうもなぁと言っている人は、表面上はIT機器スキルに疎いようなフリをしていたりするが、要するに仕事上で伝えるべき情報を見極められておらず、人的コミュニケーションに頼って相手におもんぱかって貰うことで相手の好意に甘えるスタイルなのだ。だから相手の好意を引き出すための下地均し的コミュニケーションで仕込みをする。良好な友好関係を築いておいて仕事を貰おうとする。
 関係性は険悪より良好の方が良いに決まっているのだから、そういったスタイルの全てが間違っているとは言わないが、手間とスピードに問題がある。
 つまりビジネスでの距離感を間違えビジネスでのコミュニケーションが出来ずにいるということだ。日本のビジネスが加速しないのは、そんな昭和なコミュニケーション感や距離感が蔓延はびこっているからだ。

 飲みニケーションもそうだ。
 確かに飲みの場を共有すると親近感が湧く。アルコールによって判断力が麻痺して多少の錯覚が生じるおかげで、親しくなるためには有効な方法ではある。だから、人と人との距離を近づける効果がある。
 ビジネスにおいても親しくなることは有用だから勘違いしやすいが、親しくなるかどうかは個人的なレベルの話であって、ビジネスの話ではない。個人的な距離を縮めて仕事をしやすくする手法は昭和の時代に盛んだったが、仕事がもらえる相手だからと言う理由だけの付き合いは当然建前でしかなくて、個人的な親密さとは無関係だ。だからボーダーラインの引き方が難しいし、どこにボーダーラインがあるのかの共通認識が持ちにくい。
 
 ビジネスでのコミュニケーションの距離と個人のコミュニケーションの距離を混同することは、心の不安定さに繋がるのではないかと思っている。仕事の話なのに個人の問題にすり替えられてしまうことは日常茶飯事で、それを真に受けてしまうと精神的ダメージを受けてしまう。 
 例えば、仕事でミスをした場合に上司が「お前はこんな事もできないとはバカか」と言ったとする。もしくは、良い結果になった時に「君は優秀だね」と褒められたとする。
 どちらも距離を間違っている例だ。
 ミスについては具体的な説明と再発しないための取り組みの話をすべきで、その人が例えバカだったとしても、そのバカに出来ない仕事をさせた上司がもっとバカという事になる。
 褒められた場合も、その人が優秀なことは確かだろうが、優秀でない普通の人でも同じ結果が得られる仕組みが企業に必要なものであるはずだ。
 つまり個人の問題に帰結させている時点で企業としての成長はない。

 呑みに付き合ってくれる部下がいないとボヤく上司も、会社の人とは飲みに行きたくないという部下も、どちらも同じ穴のむじなという訳だ。つまり、どちらも仕事の外の時間も仕事の延長線上として捉えているということだ。
 飲みの席は無礼講で結構、時間外は上司と部下ではなくて人と人のコミュニケーションとして飲むとしたら良い時間を過ごせる可能性はある。上司ヅラせずに、部下として卑屈にならず、お酌しなきゃとか、上司のグラスが空になる前にお伺いを立てなきゃとか、そんなことは関係なく、人間同士として語り合い、コミュニケーションをするのなら、結果的に仕事の場でもプラスに働くはずだ。

 仕事に真摯に向き合う程にコミュニケーションは洗練されていくはずと思いたい私の独り言だ。実際はどうやらそんな簡単ではないようだが。

おわり
 

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