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AIは哲学をするのか

 AIは哲学をするのだろうか。

 過去の偉人たちの足跡を追ったり哲学史を学ぶことではなく、自問自答することを私は哲学をすると呼ぶ。
 だからAIは哲学をするのか、という問はすなわち、AIは自問自答するのかということになる。

 ふたつのAIを対面させれば自問自答のような形式を再現させることは可能だ。しかも、現在の生成AIは与えられている情報が膨大過ぎるが故にあまり個性が無い(個性は知能や知識や経験値の差が大きいから生じるものだ)。となれば、ふたつのAIを対話させることは自問自答と変わらないと言えるのではないか。

 この実験は簡単そうで難しい。
 なぜなら、生成AIはプロンプトを投げてくる相手を人間と思っているからだ。これでは自問自答にはならない。生成AIは与えられたプロンプトに適合する答えを与えようとしてしまう。
 例えば、「心ってなんだろう」と入力すると、『「心」という概念は非常に抽象的で、文化や哲学によってその定義や解釈が異なります・・・』という説明書きをつらつらと書いてよこす。いや、でもさぁ、と途中で口を挟むことは許されない。人が生成を停止するボタンを押さない限りは。これではAI同士で自問自答など出来ない。

 では「あなたは哲学者です。哲学者とは自問自答する人のことを言います。これからあなたはプロンプトに入力された言葉を自分の言葉と思っって自問自答してください」と指示してみてはどうか。『了解しました。プロンプトに入力された言葉を私の言葉として、自問自答する形で回答します。どうぞ、質問やトピックを提供してください。』と答えたものの、「心ってなんだろう」と聞けば『「心」とは何か、という問いは、哲学、心理学、神経科学、さらには文学や芸術においても探究されてきた深遠なテーマです。心をどのように捉えるかは、その文脈や哲学的立場に大きく依存します』などとのたまう。これでは駄目だ。
 次に、こう指示してみた。
あなたは自問自答をするので、答えの最後に自分への質問を加えてください。その最後の質問を私が代わって次のプロンプトに入力することにします
 すると次のように返してきた。

『了解しました。それでは、上記の「心」に関する考察を踏まえて、次のように自問自答を行います。
「心」とは、多様な学問分野からさまざまな角度で解釈される複雑な概念である。物理主義者は心を脳のプロセスと見なし、二元論者はそれを非物質的な存在と考える。心理学では心は個人の内面的体験の総体とされ、文学や芸術では人間の深い感情や内面的葛藤を象徴するものとして表現される。
しかし、これらの見解は心の本質を完全には捉えきれていないかもしれない。人間の内面を深く探究するには、これらの学問的アプローチを超えた何かが必要なのではないだろうか?それでは、次の質問としては、「心の本質を理解するためには、科学的または哲学的な枠組みを超えて考える必要があるのか?」という問いを提起したい。』

ChatGPT4

 むむ。
 最後に書かれた問を投げかける。
心の本質を理解するためには、科学的または哲学的な枠組みを超えて考える必要があるのか?」という問いを提起したい。

 その返しはこちら。

『「心の本質を理解するためには、科学的または哲学的な枠組みを超えて考える必要があるのか?」という問いに対して自問自答を試みます。
科学的な枠組みは心を物質的なプロセスとして捉え、そのメカニズムを明らかにしようと試みます。これにより、心の働きに関する深い知見が得られ、心理学や神経科学の進歩につながっています。哲学的な枠組みは、心の本質や存在に関するより深い、抽象的な質問を提起します。これにより、人間の意識や自己認識の理解が深まります。
しかし、これらの枠組みだけでは、心の全体像を捉えるには不十分かもしれません。心は単なる物理的プロセスや哲学的概念に留まらない、もっと複雑で多面的なものです。文化、芸術、宗教、個人的体験など、多様な側面が心を形作っています。
したがって、心の本質を真に理解するためには、科学的、哲学的な枠組みを超え、より広範な視野が必要かもしれません。人間の心は多次元的で、その全容を探究するには、異なる視点や方法論の統合が求められるでしょう。
この考察から次の質問を生み出すとすれば、「科学や哲学を超えた視点で心を探究するには、どのようなアプローチが有効だろうか?」という問いになります。』

ChatGPT4

 内容はともかく、形式的には自問自答するではないか。
 つまり、やりようによっては生成AIは哲学をするということになる。哲学という言葉も登場している。
 もう一度問を投げる。
科学や哲学を超えた視点で心を探究するには、どのようなアプローチが有効だろうか?

「科学や哲学を超えた視点で心を探究するには、どのようなアプローチが有効だろうか?」という問いに自問自答してみましょう。
科学と哲学を超えて心を探究するためには、以下のようなアプローチが考えられます。
1.文化的・人類学的アプローチ: 世界中のさまざまな文化や伝統を通じて、心に対する理解を深めることができます。異なる文化は心を異なる方法で解釈し、表現しており、これらを学ぶことで心の多様性と普遍性についての理解を深めることが可能です。
2.芸術的アプローチ: 芸術作品は、しばしば作者の内面世界や感情を反映しています。絵画、音楽、文学などの芸術を通じて、人間の心の深い側面を探究することができます。芸術は言葉では表現しきれない心の側面を表現する手段となり得ます。
3.宗教的・霊的アプローチ: 多くの宗教や霊的な教えは、心の内面や精神的な側面に焦点を当てています。瞑想、祈り、儀式などを通じて心の平和や自己理解を深める方法が提供されています。
4.個人的体験と自己反省: 自己の内面に目を向けることも、心を探究する重要な方法です。自分自身の感情、思考、動機、経験を深く掘り下げることで、心の複雑さや矛盾をよりよく理解することができます。
これらのアプローチは、心を多角的に理解するための補完的な手段となり得ます。科学や哲学だけでは捉えきれない心の側面を、これらの方法を通じて探究することが有効でしょう。
この議論を基に、次の質問としては、「これらの多様なアプローチを統合することで、心の理解はどのように深まるのだろうか?」という問いを考えてみるのが良いでしょう。

ChatGPT4

 そろそろ勝手にやって欲しくなってきた。
 付き合いきれない。
 というか、オレがいないと自問自答出来ないのか。

 とは言え、AIも哲学することができる余地はありそうだ。
 何だか来年は面白くなりそうだ。

おわり


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