見出し画像

ネットによって起きるアン・ダイバーシティ

 人は色々な考え方を見聞きし、様々な情報に触れる中で自分の考えを熟成させていく。育つ過程で身に着けた考え方は、国や地域や親というバイアスで自然と偏る。海外で生活してみて改めて日本の良さが分かったと聞くことがあるだろう。それは日本に居たら見えなかったものが見えたからに他ならない。

 人の意見を聴くのと、それに同意するのは違う。人の意見を理解するのと、それを受け入れるのは違う。
 自分の意見を主張することは相手の意見を聞かないこととは違う。
 交渉は自分の意見だけを通すことではない。
 自分だけの世界には成長は望めない。
 自分とは違う考え方に触れることは自分を認識することでもある。白い背景に描いた白い絵が見えないように、同じ考え方しかない場所、似通った思いの人達しかいない場所では自分は育たない。

 日本人が海外の人のような自己主張をしないのは、同種の人の集まりだからだろう。そこではむしろ目立たないほうが良いのだ。白地にはグレーの点でも目立つ。
 そんな中でもきちんと自分の意見を言える人は、人と同じかどうかよりも、他との違いを意識して生きている人だろう。
 世の中には色んな人がいるということを受け容れず、違いを見ないことにした先には、マイノリティーが活躍する世界は広がらない。見方考え方が違うのだということをまず最初に理解し合わなければならない。

 しかし時代はインターネット。スマホの画面で日々閲覧する情報はあなたに最適化されている。使う程にあなたが好きなことや、同様の考え方、同質な情報に純化されていく。お勧めされる動画も本も音楽もどれも貴方好みだ。
 こうして考え方の偏りが助長される時代になってしまった。

 アメリカではいま二極化が進んでいるという。中道がすっぽり抜けて両極端な考え方に集約されていく。こうした変化はインターネットのせいではないかという研究があるという。
 分断は争いや差別の温床になる。違う考え方を受け容れられなくなるどころか、自分の回りには自分の様な考え方や価値観の情報や人しかいなくなる。それが進めば、この先は異質なものへの拒否反応が高まるだろう。考え方の違う人を差別する傾向がより強くなるだろう。

 スマホの弊害は様々言われているが、あなたが知らないうちに貴方好みの世界が自動的に作られていくことは、人類の行く末にも関わりかねない。
 某国のように意図的に情報統制しなくとも、私達はネットの便利さの裏で自動的に情報統制されていることを忘れてはならない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?