魔女狩りとChatGPT
ChatGPTには間違えもあるという言動には違和感というか既視感を覚える。
インターネットが普及し始めた時も、何でも検索出来るから便利だというのに対して、間違った情報も多いからどこまで役立つか、と言われていたからだ。
でも、何なら、人間の言う事だって本に書いてあることだって、それこそNHKだって間違えもある。
本当の正解なんてどこにもない。
みんながそれを正解と思うかどうかの方が重要視される。中世の魔女狩りが典型的ではないか。
だから怖いのは、間違いがあることそのものではなく、私達が盲信することに慣れ過ぎて、自分で考えたり判断したりする術を見失うことだ。何が正しいのかを知らなくても、正解を導く段取りや方法が判れば良いが、検索やChatGPT以外に手がかりが無いとなると問題だ。
仕事が無くなるどころか、人間の頭脳のある意味が無くなってしまう。
工業化とインターネットの普及で既に私達は人間であることを半分ほど放棄してしまった気がするが、その流れがAIによって加速しそうだ。
AIが思いつかないことは人間も思いつく訳がない、となれば一大事だ。
その思い込みが、だ。
しかし、今や囲碁や将棋でプロが指す次の一手がAIのサジェスチョンと同じかどうかが見られるような世界だ。この棋士の手筋はまるでAIみたいだ、というのがある種の褒め言葉として言われ受け止められる。人間はこの先AIに勝てるのか、という文脈で語られる。それでもプロ棋士の世界が健在なのだから人間も捨てたもんじゃない。
プロの世界はまだしも、日常はどんどん侵食されるだろう。便利にかまけて怠惰を決め込めば人が生き延びることは出来ないだろう。
なんて思ってみたが、きっと産業革命の頃も、機械が普及すれば人間は滅びると言われたりしていただろう。つまり、人間は簡単には滅びない証だ、と思いたい。
おわり
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