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便利になると人はバカになる?

 身の回りの便利が増えると人は考えなくなってバカになるのか。それとも便利になることで時間が増えるので利口になるのか。

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 何かの議論をするとき、話の前提と、言葉の定義を明確にしておかないと、言う人それぞれの観点で、それぞれの問題意識の中で論理展開しようとするので、話が異次元になってしまう。

 例えばこの「便利になるとバカ」問題について。
 これってどこの国のいつの時代の話かによって見え方が違うし、「便利」の定義によっても「バカ」の定義によっても違ってくる。その辺りを明確にしておかないと各自が言いたいことを言うだけになってしまう。

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 暗黙の大前提として、現代日本における話だとした場合、「便利」という言葉の定義が大切。

 便利=力がいらない
 便利=手間が掛からない
 便利=短時間
 便利=移動距離が短い
 便利=人と会わない、  などなど。

 言葉の定義をするとき、なるべく意味が被らないもの、含みが少ないものを選んだ方が良い。例えば、便利=人間に優しい、としたとするとそこにはいろんなものが含まれてしまうので人によって受け止めが違ってしまう。

<便利=力がいらない>
バカになるとは関係なさそう。体がバカになるというところまでバカの定義を広げれば別だが。

<便利=手間が掛からない>
もし今まで掛かっていた手間が頭を使う必要があるものだったとしたらバカになる可能性があるけど、もともと頭を使う必要がないことだったら便利になったからといってバカにはならない。

<便利=短時間>
これはより効率的に出来るとかスピードが速いとか。
例えば洗濯機も洗濯板で洗濯をしていた大昔に比べれば洗濯の時間を大幅短縮してくれた文明の利器。
じゃあ洗濯機を使い始めて人類はバカになったか。手で洗濯をするノウハウは確かに失ったかもしれないが、逆に空いた時間で頭脳を働かせる機会が増えたとすればバカにはならない。お煎餅食べながらワイドショー、だったとしたら・・・・・・。
(ちなみに洗濯板は今でも売っているし使っている人もいる)

 
<便利=移動距離が短い>
これは駅近マンションがそう。便利だよね駅近は。
でも、駅が近いとバカになるか?
散歩をしていると何かを思いつくことがよくあるので歩く距離が短くなることで思い付きが減って、それが積もりに積もって人類がバカになる可能性がなくはないのかな。駅とは反対方向に散歩する機会を増やせば良いだけだけど。

<便利=人と会わない>
これは、人となるべく会いたい人には不便かもしれないが、ネットショッピングなんかはこの人と会わない便利さを兼ね備えているものだと思う。人との煩わしいやり取りをしなくて済むというのも便利の一部ということだ。これはバカになるか? 確かにコミュニケーション・スキルが劣化するかもしれないので、例えば人と話すのが苦手ということになると人の意見によって自分の考えを顧みたりするとか、自分の意見に相手がどう反応するか見て自分の考えを纏めなおすみたいな経験が少なくなるような気がする。でも、コミュニケーションでしか学べないような考えるプロセスがあるとすればその通りだが、別の方法で代替出来るのであれば、バカになるかどうかとは関係ないのではないか。

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 実を言うと私も、便利になると人ってバカになるよね、と何となく思っていた。けれど、こうして「便利」を書き出してみると、便利とバカの繋がりや関係性があまりにも見えてこないことに気付いた。
 便利になると人は考えなくなる。
 もし、こんな前提に立ったとすれば、確かに人はバカになりそうだ。
 つまり、便利→考えない→考える必要がなくなる→考えない人間になる→考えない葦は人間ではない→バカ、みたいなことか。
 こりゃあまりに限定的な極論じぇね?!

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 こうして考えると、一見正しいと思える言説が、よくよく考えると正しいか正しくないか実は良く分からないことって、結構あちこちにあるのではないか。
「便利になったらバカになるに決まってるだろ、だって〇〇〇だろ、だから正しい」みたいな論法はは、便利になったらバカになりそうなたった一つの事例を挙げただけなのにうっかり飲み込み易いのかもしれない。

 前提条件や言葉の定義をしない議論は、主観のぶつけ合いにしかならない。展開する論法にどれだけ帰納法や演繹法が使われていても、話の前提が主観だったら、結論も主観に過ぎない。

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 でも、嫌がられるだろうねぇ。

 あなたの使っているこの言葉の定義はこういうことですか? その前提はこういうことですか? 定義をちゃんとしてくれなければ議論になりません、なって言ったら・・・。

 なんか和牛の漫才ネタに登場する人みたいで。

おわり

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