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都知事選挙から見える未来
都知事選の行方がいつになく気になっている。私は東京都民ではないので、投票することは叶わない。気を揉んでも徒労にすらならないが、東京都の影響力は計り知れず、もはや日本の趨勢を占うまでになっていると思えば蚊帳の外からでも覗きたくもなる。
これまでの東京都がどんな問題を抱えていて、どんな未来を描いているのか全く知識を持っていないので、都知事選への関心はミーハーなそれに過ぎないことは承知だ。
誰が当選するのか、その結果何がどうなるのか。これまで通りを望まないのであれば新しい候補者に目が向くけれど、当の都民はどう思うのか。
都民は知事に何を望んで投票するのだろうか。各自が望むことの全てを一つ一つ実現するのは物理的に不可能だから、公約として論じられる大まかな方針と人柄を参考に、なんとなくこの人なら良さそうかも、程度な判断基準に落ち着くのではないか。
そう考えると、結局のところ第一印象が大切ということになるか。となれば、不祥事を働いたなど余程のことがあれば別だが、見慣れている分だけ現職が有利に違いない。なにせ一番都知事然としているのは現職なのだ。
2番手以降にチャンスがあるとすれば、都知事の座についたことを想像した時にどれだけしっくりくるかではないか。いかにも現職以上に何か良いことをもたらしてくれそうな雰囲気と言っても良い。
それで行くと、数だけは多い今回の候補者の中に見出すのは容易ではない。掲げる理念や公約が素晴らしくても、それが実現した社会を実感を伴って想像するのは、当選インタビュー風景を想像するよりも遥かに難しい。
要するに、都知事としての実力は良くも悪くも頼りになりそうかで決まると言っても過言では無いだろう。
しかし、風が変わろうとしているのも事実だ。
世界各国から外国人が押し寄せて、安い日本を謳歌しているのを間近に見た都民は、これまでの先に未来は無いことを感じ始めているだろう。今までは良かった。でも延長線上にこれからは無い。そうだとすれば、変わることこそに意味があると、今変わらなければ手遅れになると気づいてもおかしくない。
実際、変わるなら今しかない。
先送りの挙げ句の有耶無耶という戦略が有効だったのは過去の話だ。なんとなく、が実効性を持てたのは余裕があったからだ。東京の価値はもはやかなり食い潰されている。摩訶不思議なアジアのパラダイスの観光価値は急速に萎みつつある。
多くが東京に本社を置く日本企業の国際的な競争力はもはやかなり削がれてしまっている。一握りの企業だけしか生き残れない未来がすぐそこにやって来ている。
けれども図体がデカいほど急には変われない。東京都ほどともなれば、時間を掛けて計画的に変わらなければ手遅れになる。だから今から変わらなければならないのだ。
そこで生活している都民がそのことに気が付いているだろうか。目先の便利さや優遇措置に目が眩んだりしないだろうか。このままで何の問題もない、きっと変えてくれると人任せにしてはいないだろうか。
ケネディの言葉をもじって言えば、『東京都があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが東京都のために何ができるのかを問うてほしい』とでもいうことか。
これは他人事ではない。東京都に限ったことではなく、日本国民誰しもが自らに問わねばならない時が来ている。
おわり
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