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ゆとり世代と呼ばれて

何を隠そう、僕はゆとり世代である。

土曜日が休みになって、教科書のページ数は減り、「ナンバーワンよりオンリーワン」と言われて育った。僕たちは世界にひとつだけの花で、先生たちは皆スマップだった。学年主任の木村先生は、全校集会でオンリーワンを連発したせいで「ハゲタク」と呼ばれていた。苗字は木村だけど、名前は「たくや」じゃなくて「じゅんじ」なのに可哀そうだなと思った。名付けたのは僕だが。

宿題もあんまりなかったと思う。
学校が終わった後にやっていたことと言えば、野球かサッカーかスマブラだった。これを読んでいる君と同じように、その辺の田んぼでザリガニを釣ったり、エアガンで蜂の巣をぶち壊したりもしていた。「宿題をやろう」なんて気持ちになったことは1回もないし、宿題をやれともあまり言われなかった気がする。宿題をやらないことより、蜂の巣をぶち壊して怒られた回数の方が多かったはずだ。

「これだからゆとりは……」なんて言われると、怒ってしまうゆとり世代は多い。
僕はあんまり怒る気になれない。全力でゆとり教育を受けてしまったおかげで、何をするにもゆとりが欲しいからだ。
休日は昼まで寝ているが、なんなら平日も昼まで寝ていたい。起きたらゲームをして、映画を見て、犬の散歩を終わらせて、気づいたら退社時刻になっていても笑顔で許してほしい。昼休みは5時間くらいほしいし、週休は4日もらえたらいいなと思う。できたら7日ほしい。

noteの投稿者にもゆとり世代は多いはずだが、僕と違って意識の高い人ばかりだ。
彼らは皆、子育てにおける夫婦間の役割だったりとか、仕事を通しての心の豊かさだったりとか、プログラミングとかフリーランスとかハイパーメディアクリエイターについて考えている。
なんたる意識の高さだろうか。僕ときたら、それが何の役に立つのかもわからないし、つい先週の飲み会で「英語では、単語の頭にUNを付けると否定的な意味になるらしい。例えばUNKO」とか言って友達とげらげら笑っていたのだ。いったい何が面白かったのだろうか。僕のようなUNKOがゆとり世代の評判を下げているに違いない。

いや、僕だってポヤーンと生きているわけではないのだ。真剣に考えることだってある。TSUTAYAの店内に下げられた怪しいのれんの向こう側では、誰だってDVD片手に自分と向き合っている。あんなに真剣と書いてマジな空間がどこにあるだろうか。「自分を探す旅」とか言ってるやつは、航空券を取る前にまずTSUTAYAへ行け。

ゆとり世代は協調性がないらしい。
ふむ、それはなんとなくわかる。僕は他人が借りようとしているDVDをチラ見したりしないし、複数人でのれんの向こうへ入ったりしないが、これは協調性とかではないだろう。
協調性というのは、フォークダンスをうまく踊れるかどうか、みたいなもんだと思う。相手が右手を差し出したら、こちらも右手を差し出すのだ。右足を出されたらこっちも右足を出して、右の頬をぶたれたら左の頬を殴り返しちまう俺にはやっぱり協調性なんかねえんだ!畜生!ゆとりの無いトレーニングで鍛え上げたこの鉄拳で、飲みニケーションと休日出勤をブッ潰してやるぜ!覚悟しろ!

そう言い残し、男は山手線のホームに向かっていったのであった。

~Fin~

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