高等学校の国語の授業 論説文編⑧ 『水の東西』の推論指導の意義=表現2
「データ」である「『羅生門』は人間のエゴイズムが表現されている」という命題の蓋然性が高いということは、「エゴイズムが表現されている」ような具体的描写が複数記されていて帰納的に「データ」が導かれた構造になっているということです(この場合は「演繹的ではない推論」の「帰納」を用いることになります)。
では、「理由づけ」である「人間のエゴイズムは高校生として知っおくべきものである(=読むべき価値がある)」という命題の蓋然性が高いということはどういうことでしょうか。それは、この命題が「人間のエゴイズム」の定義を「データ」とし「高校生としての発達段階などの科学的考察」を「理由づけ」として導かれた「主張」となっているということです(この場合は「演繹的な推論」を用いることになります)。
つまり、以下のような論証構造になっている必要があるのです。
エゴイズムが表現されている具体的描写(複数)
↓ *帰納
データ:『羅生門』は人間のエゴイズムが表現されている
↓
↓ エゴイズムの定義
↓ ↓ ← 高校生としての発達段階の知見
↓ ← 理由づけ:人間のエゴイズムは高校生として知っておくべき
↓ ものである(=読むべき価値がある)
↓
主 張:『羅生門』は読むべき作品である
生徒には、このように多くの推論が組み合わさった論証構造になっているのかどうかを確認させていくことになります。
このように、推論について無意識に表現してきた生徒に対して、「推論の仕方」を学習したならその「推論の仕方」を用いて評価させていくことが大切になるのです。
これは同じ国語科だけではありません。当然、社会科のレポートや理科の研究発表にも活用させていく必要があります。高等学校においては教科間にある高くて厚い壁を壊していき、さらに新しい関係性をも構築していくような授業がこれからの国語科に求められることになってくるのです。
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