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妄想紙[vol.28]

10-11月にかけてゼミ生が執筆した妄想紙。この期間にはカフェゼミやゼミ生のプレゼン、ゼミ受講希望者が参加するオープンゼミなどを行った。活動の中で何かを発見した人や他者の言葉や目線で気づきを得た人。それぞれの小さな発見を見てみましょう。


自分で楽しくする / まめきち

ラジオのために場づくりチームのみんなで「対話しやすい場所ってどこだろうね」という話をしたり「まず一緒にカフェに行ってみよう!」と言ってカフェに出向いたりしてみた。こういった準備をする中で対話がしやすい場所があるということに気が付いて自分が場づくりにどんどん興味を持つようになっていった。


学校にカフェを開いてみた / しょう

「カフェゼミ#58」にて、私はお茶とお菓子を用意するカフェチームを担当した。カフェチームでは「本番に向けてお茶の試飲会をやろう」という話がでたのだが、せっかくならチーム内だけじゃなくて他のゼミ生にも飲んでもらいたいなあと思った。そこで「カフェって形にして、お茶のオープン試飲会をやってみない?」と提案した。そうして始まったのが『あれこれカフェ』だ。


手伝ってくれるのではなく、同じ生活をする / ミカン

昔、車椅子を乗っている人や視覚障害者のドキュメンタリーを見たことがある。視覚障害者を手伝ってくれるため、視覚障害者の腕を捕まって一緒に歩こうとした人。視覚障害者の立場で見ると自分の障害のため、道をいけないと判断したと思うこともでき、急に知らない人が自分の腕を捕まったら怖いと感じることができる。確かに手伝ってくれたかった人は優しい考えでその行動をしたかも知らない。しかし、自分も知らないうち差別をしてしまったのではないか。


見えていなかったもの / non

私は、このプレゼンを聞いて、車いすに乗っている人をほとんど気にかけたことがなかったことに気が付いた。子育てや共働きの家庭など、子供関係に関心があるため、ベビーカーを押している人には声をかけたことがある。しかし、車いすに乗っている人には声掛けをしたことがない。自分の関心の外には、目を向けることができていなかったのだ。


私、独裁者だったかもしれまぜん。 / クマノミミ

オープンゼミで行ったワークショップだったため、いつも見慣れたメンバーではない人とワークショップをやることになっていた。だったら、私はもっと声を出して、コミュニケーションが取りやすく、意見を出しやすく、環境を作るべきだったが、私はそうできなかった。オープンゼミに新しく参加した、私のグループの一人は、”意見を出す雰囲気ではなかったので”っていう感想を聞かせてくれた。その言葉を聞いた瞬間、”あ、一番ダメなことをやっちゃった”と思った。



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